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フランク・ゲーリー

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先月ビルバオを訪れた際、「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」が 写真などで見ていたイメージとは大きく違って気になっていたので、復習を兼ねて 21_21DESIGN SIGHT で開催されている『建築家フランク・ゲーリー展』に行って来ました。 会場に入るとすぐ、映像で代表作の「ウォルト・ディズニー・コンサートホール」(ロサンゼルス)、「ルイ・ヴィトン財団」(パリ)、「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」(ビルバオ)が紹介されています。 かっこいい映像ですが「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」はやはり私が感じた印象とは違いました。 現地で感じた外観のフォルムは周囲の山並みと呼応する形で、傍の橋と共に金属の材質ながら不思議と景色と融合していました。 もっとのどかな印象というのでしょうか。  ビルバオで実際に見た「ビルバオ・グッゲンハイム美術館」 「ルイ・ヴィトン財団」へは行った事ありませんが、きっと同じ様に"あの外装が周りの緑を映し出すのだろうな~"と想像しました。 展示室に入るとゲーリー自邸の模型や事務所の映像の他、多数の模型があり、その数の多さ、素材の多様さから〈模型からつくる〉〈模型から考える〉という彼の言葉に説得力が加わります。また、 自邸の模型や映像では、たてものの中から外を見る時に何を見たいのか、その為にどの様に景色を切り取るのか、という事が浮き彫りになっていました。  ダンボールで彼がつくったという椅子もあり、 実際に座れます ぐるっと観て周ると、彼の制作姿勢、こだわりは理解できます。 でもやはり建築は実際に現場でみなければ! という事で、今度自分の目で確認すべき建築はパリの 「ルイ・ヴィトン財団」だな、と チェックしていたらテロが起きました(!) 事の大きさに驚いていますが、ただただ犠牲にのなられた方々のご冥福と傷付いた方々の回復をお祈りするばかりです。 * ESPACE LOUIS VUITTON  でも「フランク・ゲーリー/Frank Gehry パリ-フォンダシオン ルイ・ヴィトン 建築展」が開催されています。  「ESPACE LOUIS VUITTON」での展示    

建築とはかくあるべき?「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」

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建築とは? 色々意見はあると思いますが、私は<たてもの>という かたち を使って 用途 として求められているものを 過不足なく提供 するのが建築なのでは、と思っています。 そこに作り手の主張が必要以上に入り込むと、それはもう建築ではなく‘立体’という作品になってしまうのではないでしょうか。 そういった私見に基づくと、先日訪れた栗生明氏による「 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館 」は、‘建築はかくあるべき!’と感じさせてくれるものでした。 「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」は長崎の原爆で亡くなった方々の哀しみ、苦しみを受け止め、祈りを捧げ、想いを未来に繋げていく場所です。 ここではそれらの用途すべてが過不足なく見事にかたちで具現化されていました。 地上には半透明の2つの立体と水盤しかありません。 水盤は原爆で亡くなられた方々が求め続けた‘水’を現しています。 そして暗くなると水盤の中に約7万個(長崎の原爆で亡くなった方の人数)の明かりがともります。 祈りをささげながら水盤の周りを歩いていくと地下への入口に辿りつきます。 そこでもう一度まっすぐ水盤の方に目を向けると、その先が原爆落下の中心地点になります。 祈りを捧げながら階段を下りて地下入口に向かいます。 地下の追悼空間には半透明の12本の柱が立っており、その向こうに亡くなられた方々の名簿が納められています。 柱は明るい方へ、上へ、空へと向かっており、最終的には地上部分に出ていた2つの立体に覆われます。 私たちはその柱の間を歩き死者の気持ちに寄り添い、 見上げながら 気持ちを受け継ごうと祈りを捧げられます。 静かで無駄なものが何もない空間で私は不思議な気持ちになりました。 時空を超えて会話すべき誰かと、何かと繋がった感覚を得たのです。 それは建物に宿る力によるものだと思います。 写真も悪いですし私の拙い文章ではなかなか伝わらないと思いましたが、きちんと<たてもの>としての役割を果たしている建築に出会い、感動したので書かせてもらいました(^ ^)

小値賀島で古民家に宿泊

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小値賀島では『 古民家スティ 』をしました。 『古民家スティ』とは、使われていない古民家、武家屋敷などを東洋文化研究家のアレックス・カー氏による改装で一棟貸しするという小値賀の新しい試みです。 これは現代の空き家問題とも重なりとても注目すべきシステムだと思います。 私は港近くの「先小路」に宿泊しました。 玄関 リビングは2階で、家具などもある 屋根までの柱の組み方が分かる 快適に過ごせるようにソファなども設置 キッチンには調味料やお茶・コーヒーなどが用意されており、冷暖房完備、お風呂はキッチンのボタン一つで用意が出来、 洗濯機もあり ます。 古くても良い所は残しながら、ホテル並みの設備は整っているのでとても快適に過ごせました。 そしてこの試みは、古い価値のある建物を上手に活用しながら残していく体験が出来る良い機会でもあると思いました。 小値賀にはこのほか、『 民泊 』というシステムもあります。 こちらは島の民家に宿泊して、日常の食事や生活を体験できるというものです。 野崎島のツアーでご一緒した伊是名島の方々が民泊を体験されて楽しそうでしたので、今度はこちらも体験してみようと思います。 「古民家の利用」という点では、 『商家尼忠東店(しょうかあまちゅうとうてん)』もありました。 明治41年に建てられ町に寄贈された商家:尼崎家本店を、町が改修して公民館の様に利用しているのです。旅行者も利用できます。 パンフレットなども置いてあるので、休憩や町の方々との交流にも良い場所なのではないでしょうか。 説明を追加 島を訪れて、独特だな〜と思っのは[放送]です。 欠航のお知らせなどは、朝早くから島中に流れます。 「防災センターからのお知らせです!・・・」で始まるので初めはびっくりしました^_^; ‘抜港(ばっこう)’という言葉もここで初めて知りました。 また、月初めに「今日から新しい月の始まりです!先月の反省をふまえて新たな…」という趣旨の放送が流れたのにも驚きました^^。 もしかしたら、この放送が島の一体感を生み出しているのかもしれません。 ところで、日本には島がどのぐらいあるかご存知ですか? なんと6852(海岸線が100メートル以上のもの) あり、そのう...

小値賀島

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先日旅をした五島列島の中で、一番印象に残ったのが「野崎島」と「小値賀島」です。 小値賀島は九州の西にある小さな島で、正式には周囲に散在する17の島々(野崎島もその1つ)からなっています。 *17の島のうちの斑島と黒島へは小値賀本島と橋で繋がっています。 行き方は、現在小値賀空港は閉鎖されているので、博多港(宇久島経由)か佐世保港か中通島から船になります。 この素敵な島の魅力をどこからお話したらいいかと考えているうちに何日も日にちがたってしまいました。 そのぐらい魅力的な島です。 山が多い五島列島の島々の中でこの島はほぼ平地です。 その為か町には他を受け入れる風土があり、何処でも皆、気さくに声をかけてくれます。 中学生はすれ違う時に大きな声で、「こんにちは!」と挨拶してくれますし、町中で地図を広げると必ず誰かが「どこに行きますの?」と心配してくれてなんかほっとします。 町の顏は何と言っても 「小値賀港」 この島の入り口です。 そして港には 「 おぢかアイランドツーリズム 」 があり、観光に関することはすべてここで事足ります。 私もここに何回足を運んだか分かりません。最後は「今日は風は強いですか?」なんて質問をしに行った程です。そんな時も、 「午前はまあまあですがお昼頃から強くなりますから、自転車は向きません。島を廻るなら車がお奨めです。レンタカーの手続きはされますか?」など、テキパキ対応してくれました。 *この天気予報が当たるんです! そしてもう一つこの島を訪れたら真っ先に立ち寄りたいのが 「小値賀町歴史民俗資料館」 です。 ここを訪れれば、係の方がほぼマンツーマンで説明して下さり、小値賀の歴史、古代から現在の祭りまでがよ~く分かります。 *私が訪れた時は人が少なかったので入場料¥100でお茶とお菓子付きでした^^。 訪れる前にアイランドツーリズムに問い合わせた時、いつも返信の最後は 「小値賀は何にもない島ですがゆっくりしていただければ・・・」でした。 それを知った上で行こうとしているのでいいのですが、あまり毎回言われるとそんなに"な~んにもないの?"と不安になります。 どきどきしながら訪れてみると、おもしろいおもしろい! マンホールの鹿の絵も、 草原に座って目の前に広が...

軍艦島

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念願の軍艦島に行って来ました! 世界遺産候補で注目を集めている軍艦島を私が初めて知ったきっかけは、2012年に開催された東京都写真美術館での企画展でした。 『映像としての冒険vol.5 記録としての映像』展の 出品作家の1人としてベルリン在住のアーティスト:ニナ・フィッシャー&マロアン・エル・ザニが映像作品「Spelling Dystopia」(2009)で、‘軍艦島’を取り上げていたのです。 "こんな島があるんだ…知らなかった、行ってみたい!"とそれ以来ずっと思っていました。 軍艦島は皆様ご存知の様に、正式名称:端島(はしま)で、炭鉱産業の為に増設して作られた島です。 日本初の鉄筋コンクリート高層住宅が造られたところでもあり、学校・保育園・病院・映画館まであり、最盛期は東京都の9倍もの人口密度があったそうです。 現在は無人島です。 よって個人で訪問・上陸と言う訳にはいきません。 上陸するにはツアーに参加する必要があります。       今は申し込みが多く予約を取るのも大変な状況ですが、ツアーに参加出来ても"上陸"そのものにも関門があります。 それは、軍艦島の港まで行けても風が強いと上陸出来ないのです。 通常の島だったら上陸出来る状況でも人工港では難しいそうです。 でもこればかりはお天気次第なので祈るしかありませんね(^ ^) 今回、私達は運よく上陸出来ました! 詳細については実際に訪れていただきたいのであえて書きませんが、今後の島の状況については、コンクリートの劣化を止める方法など、まだまだ未開発の事も多く、いつまでこの状態を保存出来るのかは不明だそうです。 また、当時の労働実態の問題など、 単に‘こんな島があったんだ、すごいね!’で終わらせてはいけない事実があった事も確かです。 ガイドさんもおっしゃっていましたが、実際に島を訪れ、自分の目で確認し、感じ、更に必要であるならば調べ、こういう島があったという事実とその実態を自分の中に落とし込み、各自が考え消化していく事が大事だと訪問してみて思いました。 ツアーへの参加の仕方や様子などは、 「ISLAND TRIP さんのブログ」  がとても参考になるのでお勧めです。3つのツアーの内容が詳しく解説されており、私も参考にしました(...

五島列島の教会ーステンドグラス

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五島列島を旅して来ました。 目的は 以前より日本の初期教会建築に興味があり、 キリスト教解禁となった後に建てられた教会を観る為です。 久賀島 旧五輪教会堂(1881年建設) 旅は素晴らしいものでした。 「百聞は一見にしかず」 旅の度に感じる事です(^ ^) 詳細は追ってお知らせするとして、今回はステンドグラスの事に触れます。 *教会内部では、写真撮影が禁止されているので、ご案内は旧教会や資料写真からとなります。 〈ステンドグラスで表現されたものに関して〉 おそらく当時(19世紀後半)の日本にはステンドグラスの高度な技術が無く、また高価なガラスの輸入もままならなかったのでしょう、"教え"をステンドグラスで表現する事はなく、キリストや十字架を象徴する模様が用いられていた事が大きな特徴に感じました。 中通島 青砂ヶ浦天主堂(1910年建設)資料館写真より 西洋では、字が読めない人も分かる様に、イエス・キリストの受難などをステンドグラスで表現する事が多いのですが、こちらではそれを絵で描き、各場面に分けてステンドグラスの上に設置していました。 中通島 旧鯛ノ浦教会(1903年) 美しいステンドグラスで有名なフランスのサント・シャペル教会は13世紀に建てられていますから、日本のステンドグラスの歴史はかなり浅いと言えます。 〈ステンドグラスの色に関して〉 ガラスの色は、海・植物・太陽を象徴する青・緑・赤・黄が多用され、自然崇拝に近いものを感じました。   〈ガラスの溶接に関して〉 通常ステンドグラスは色ガラスを鉛で溶接して"絵"を作り上げていきますが、色ガラスや金属は貴重だったのでしょう。 繋ぎは木であったり、無地のガラスにわずかな色素で模様を描いている教会(奈留島 江上天主堂)もありました。 木枠のステンドグラスはカラー和紙を使った欄間の様で、極めて日本的だと思います。 中通島 旧鯛ノ浦教会(1903年) *ステンドグラスとは離れますが五島列島の教会では、聖母子像は殆ど無く、ヨセフがキリストを抱いている像が多く、男尊女卑、あるいは長男家長制といった日本のしきたりと関係があったのでしょうか? 自然の中に静かにたたずむ教会群は西洋のものとは明らかに違い、...

五島列島の無人島 野崎島

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  無人島や教会に興味があり以前より行きたかった 五島列島の1つ、無人島の 野崎島を訪れました。 予定していた日は時化で船が欠航し、一日待っての訪問です。 かなり天候に左右されるので、スケジュールには余裕をもたせたほうがいいようです。 また、小値賀島より一日一便の町営船で上陸出来ますが、おじか アイランドツーリズム への 事前連絡が必要です。 丘に建つ「旧野首教会」、丘の向こうは海 ステンドグラスの枠は鉛ではなく、木   教会内部から外を見る 鉄川与助による世界遺産候補の「旧野首教会」は、丘にすくっと建ちステンドグラスや扉を開けた時の景色との対比などとても素晴らしい教会でした。しかしこの島の見所はそれだけではありませんでした。 草や低木は野生のニホンジカが食べてくれるので伸びない 段々畑として耕した土地が風化して別の美しさを生み出していたり、伸び放題になってしまう下草を、野生のニホンジカが食べてきれいな丘にしてくれていたりと、日常ではあまり出会えない景色に出会えました。 鹿の群れが細い道を通る際に、一列に並んでおとなしく順番を待っている姿など、微笑ましい様子も観察出来て貴重な体験でした。 遠浅で澄んだ海 海は澄んで飲み込まれる程の美しさです。 帰りは時間の関係でチャーター便をお願いしましたが、それは想像していた船とは違う漁船で、ジェットコースターのような揺れに悲鳴を上げながら無事、小値賀島に到着しました。 (ご一緒した伊是名島の方々は顔色一つ変えていませんでした>_<) 野崎島には 野崎島自然学塾村 という旧校舎を利用した施設があり、自炊で宿泊もできます。 野崎島自然学塾村の建物とグランド キャンプも出来、美しい海もプライベートビーチの様になるので、今度はこちらも検討してみたいと思います。 野崎島自然学塾村の塾長、ご一緒した皆さま、楽しい時をありがとうございました^^。