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【アート通信ー45 : 青木野枝】

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45回目のアート通信は、鉄を使った彫刻家、青木野枝氏(1958-)の紹介です。 〈霧と山とーⅡ〉(2019) 青木氏は主に工業用の鉄から立体作品を作り続けている作家です。 鉄素材の彫刻と言うと鉄の塊のような重いものをイメージしますが、青木氏の作品は鉄から切り抜いたパーツパーツをつなぎ合わせているので、まるで空気を含んでいるかのような軽やかな印象です。 私は2010年の瀬戸内国際芸術祭で作品を目にして以来のファンです。 細い鉄のラインで空気に絵を描いているような、またその場を意識しながらもそれを軽やかに未来に繋げているような、そんな不思議な魅力に取り憑かれました。 作品のスタイルは円を連結したものが多く、そこに色ガラス、曇りガラスなど数種類のガラスを組み合わせたものもあります。そしてほとんどの作品はその空間で組み立てていく手法なので、言わばその場に対応したオーダーメイド作品です。 作品は、箱根の「ポーラ美術館」、倉敷の「大原美術館」などの美術館で恒久設置されている他、青梅市庁舎、日本生命保険相互会社(大阪)などにも設置されています。 日本生命保険相互会社脇の遊歩道に設置された作品  〈空の粒子/パッセージ2015〉 また「越後妻有アートトリエンナーレ」「瀬戸内国際芸術祭」などへの参加、「霧島アートの森」「金津創作の森」での制作など様々な活動もしており、中には建築家 青木淳氏とのコラボ作品、賃貸住宅の外観を作品で覆ったメゾンアオアオ(吉祥寺)というものもあります。 金津創作の森の設置されている作品  〈玉鋼ーⅢ〉(2002) 鉄素材の作品が多いのですが、中には石鹸を使ったこんな作品もあります。 カラフルな作品ですが、実はこちらは以前青木氏が、 ‘アウシュビッツから遺骨が帰ってこない人がいる。当時ナチは人間から石鹸を作っていた。よって遺骨がない人のお墓に石鹸を供えた。’ という話を聞いた際、その話に衝撃を受け、またそこから着想を得て生まれた作品なのです。 〈立山 / 府中〉(2019) 2020年3月1日まで、東京都府中市美術館にて「青木野枝 霧と鉄と山と」が開催されているので、ご興味のある方は足を運ばれてはいかがでしょうか。 府中市美術館 金津創作の森についてはこちらからどうぞ

【アート通信ー44:前川建築と弘前】

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44回目のアート通信は、【前川建築と弘前】です。 東京・上野の「東京文化会館」「東京都美術館」の設計でも知られる前川國男氏(1905-1986)は、日本人で初めて近代建築の巨匠ル・コルビュジェ氏(1887-1965)の弟子となった人です。 東京都美術館(1975) 前川氏は新潟市に生まれ、東京大学工学部建築学科を卒業したその日に憧れのル・コルビュジェのパリ事務所に向かいます。帰国後は東京を拠点に活躍しますが、母親が弘前出身という縁から、青森県弘前市には8棟もの前川建築が建てられています。そしてその全てが現存し、処女作もここにあります。 前川國男氏の処女作「木村産業研究所」(1932) 2年のパリ滞在中に出会った木村隆三氏に依頼され、帰国後手がけたのがこちら、地場産業の活性化を目的とした「木村産業研究所」です。現在、こちらはこぎん刺しを扱う「弘前こぎん研究所」として機能しています。 写真では分かりませんが、向かって右側の方に車寄せがあり、同じ高さの窓が続く様子や、入り口付近の吹き抜け空間、天井の色の使い方などからル・コルビュジェの名作「サヴォア邸」(1928-1931)を彷彿させます。 「木村産業研究所」入り口付近 「木村産業研究所」玄関付近、吹き抜け空間 前川氏がル・コルビュジェの事務所で働いていた1928-1930年は、ル・コルビュジェの事務所ではちょうどサヴォア邸に取り組んでいた時なので、その影響を受けた可能性は十分あるでしょう。 弘前市で次に建てられたのが「弘前中央高等学校講堂」(1954)です。こちらは木村隆三の兄がPTA会長をしていたことがきっかになった、との事ですから縁とは面白いものです。そしてその次が「弘前市庁舎」(1958)。 手前の低い方4階建が本館、後ろが新館(1972) 本館は、水平線を強調したデザイン。かつての弘前城があった弘前公園の向かいに位置しており、2階と4階部分に設けられた屋根は、向かいの追手門との呼応を意識しているようです。新館の山型に切り取られた塔は岩木山を意識しているのでしょうか。 新館を横方向から見る そして弘前公園敷地内にある「弘前市民会館」(1964)へと続きます。 「弘前市民会館」(1964)外観 「弘前市民会

【アート通信ー43:カサ・バトリョ】

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43回目のアート通信は、2005年にユネスコの世界遺産に登録されたスペイン・バルセロナの「カサ・バトリョ」の紹介です。 「カサ・バトリョ」正面 カサ=家、バトリョ=人の名前、なので「カサ・バトリョ」=「バトリョさんの家」という意味です。あの有名なアントニ・ガウディ氏(1852-1926)による建物で、旧市街の北側、グラシア通りにあります。 「カサ・バトリョ」の隣はジュセップ・プッチ氏による 「カサ・アマトリェール」正面 ちなみに、カサ・バトリョの隣の建物はガウディと同じカタルーニャ地方出身のジュセップ・プッチ氏(1867-1957)による「カサ・アマトリェール」で、ガウディは「カサ・バトリョ」を手掛ける際、既に建っていたこの隣りの建物のデザインをかなり意識していたそうです。 波打つ曲線をもたせた 「カサ・バトリョ」の 正面 繊維業で成功したジョゼップ・バトリョ氏は1903年にグラシア通りの1877年に建設された建物を買い取り、翌年ガウディに自宅兼賃貸住宅として建て直すように依頼しました。 当初のバトリョさんの依頼は建て直しでしたが、最終的にガウディは建て直しはせず、手を加えて変化をもたらすようにしました。まず一番目立つ外壁正面に波打つ曲線をもたせ、陶器のかけらや割れガラスの破片にオリジナルの円形タイルを組み合わせて装飾しました。今で言うリノベーション住宅ですね。 当時、事業で成功した者は競ってこの通りに目立つ自邸を建てていたので、バトリョさんもコンテストで優勝したばかりのガウディに期待を込めて依頼したのでしょう。 「カサ・バトリョ」の屋根裏部屋を作るアーチ 外壁だけでなく内部改装の他、最上階にカタルーニャの伝統的な邸宅に見られた屋根裏部屋を設け、屋根のデザインに変化ももたらしました。 屋根裏部屋で用いられているカテナリーアーチはガウディがよく使用した手法で、一本の鎖の両端を壁に留め、自然に垂らした形を逆さまにしたアーチの形でほっそりエレガントなラインも可能です。 「カサ・バトリョ」内部バルコニー 建物内も波打つ曲線が美しく、ここに一貫して流れるテーマは「海」です。作り付けの家具にも様々な工夫がなされ、ドアノブなど細かなところまでデザインが行き渡っていますが、これらすべてガ

【アート通信ー42:「マルク・シャガール国立美術館」】

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42回目のアート通信は、フランス・ニースにある 世界的な画家シャガール( 1887-1985 )の「マルク・シャガール国立美術館」(「 マルク・シャガール聖書のメッセージ国立美術館」から名前が変わリました) のご案内です。 地中海地方特有の植物が植えられた広い敷地 こちらの美術館は シャガールが フランス国に自身の 連作 『聖書のメッセージ』を寄付し、ニース市から土地の提供を受けて 1973 年に 開館した国立の美術館です。生存中に建てられた美術館なので、彼の意見も反映されているのが特徴です。 美術館建設に詳しいアンドレ・エルマン(1908-1978)による建物 ユダヤ教徒でもあったシャガールは聖書の世界を表現する為に、 連作『聖書のメッセージ』を完成させました 。彼は 子供の頃より聖書の世界をとても大事にしており、 ここを訪れた人が 人生の意味を見出いだせるようにと、建物には美術館というより‘家’をイメージしました。 また、庭についても、‘ 神は地球上にまず庭を作った。 よって美術館に入る前に庭が必要と考えた’  と言っているように 建物同様大事に考えました。 『楽園を追われたアダムとイブ』(1961)の部分 連作『聖書のメッセージ』からは、創世記と出エジプトを描いた『人類の創造』『楽園』『楽園を追われたアダムとイブ』『ノアの方舟』『ノアと虹』『アブラハムと3人の天使』『イサクのいけにえ』『ヤコブの夢』『ヤコブと天使の戦い』『燃える柴の前のモーゼ』『岩を打つモーゼ』『立法の石板を受けるモーゼ』の12点が選ばれひし形で連結された3つのスペースに1枚ずつ、教会に展示されているかのように展示されています。 明るい展示室 こちらには『聖書のメッセージ』以外の作品も制作年順に展示されており、自然光が差し込む広々とした明るい展示室は美術館というよりサロンのようです。 ホールの楽器の蓋の裏側にも美しい絵が! また、自分の作品を見るだけでなく詩の朗読や音楽の演奏が行えるホールがあるといい、というシャガールの考えから、美術館にはコンサートホールもあります。美しいステンドグラスはこのホールの為のに彼がデザインしたもの。またここで上映される映像には、美術館を訪問したシ

【アート通信ー41:塩田千春】

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41回目のアート通信は、第56回ベネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館代表(2015)で、現在六本木の「森美術館」にて個展「塩田千春展 魂がふるえる」を開催中の現代美術家 塩田千春氏 (1972-)の紹介です。 塩田千春 〈不確かな旅〉 彼女の作品には、パフォーマンスやインスタレーションといった瞬間もしくは一定期間で消滅してしまうものが多く、日本では紹介される機会の少ない作家です。また比較的大きな作品が多く、その作品のほとんどは自身の体験から紡ぎ出されています。 今回の個展では、学生時代から現在までの代表作が紹介され、彼女の人生における葛藤を作品を通して感じ取れる構成になっています。作品自体は実際に美術館で観ていただくとして、ここでは作品5点を選び、その作品にまつわる逸話をご紹介していきましょう。 編みこまれた感覚は幼少期より 塩田千春 〈静けさの中で〉 彼女の代表作に、大量の糸が編みこまれ張り巡らされた作品がありますが、実は彼女は子供の頃より不安な事があると朝4時か5時に目が覚め、自分の部屋全体が糸で編みこまれているような感覚に囚われていたそうです。その不安感を糸で表現出来たら、との思いから生まれた作品です。 絵画科なのに絵は描かない? 塩田千春 パフォーマンス〈絵になること〉  1994年留学先のオーストラリアでエナメル塗料を頭からかぶり自身が絵に溶け込んでしまったかのようなパフォーマンスを行った。その時の写真 大学に入り絵画科に入学したものの立体を2次元に押し込める事に疑問を持ち、そこから絵を描けなくなります。しかし何かを生み出さなければ!ともがき、生み出していった作品が、パフォーマンス、インスタレーションでした。 人違いからの作品 彼女は学生の頃、1991年に滋賀県立美術館で開催された「アバカノヴィッチ」展を観て感銘を受け、マグダレーナ・アバカノヴィッチ(1930-)に学びたい!とドイツ留学の手続きを取ります。ところが手違いで、彼女が師事することになったのは 名前の似たマリーナ・アブラモヴィッチ氏(1946-)でした。過激なパフォーマンスで有名なアーティストです。しかし、そこで受けた断食など修行僧のような授業は、その後の彼女の作品に大きな影響を与えます。 第2の皮膚、第3の皮膚

【アート通信ー40:「東京都現代美術館」】

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第40回目のアート通信は、老朽化による設備改修と耐震化工事を経て、2019年4月にリニューアルオープンした、「 東京都現代美術館 」です。 「東京都現代美術館」公園口 東京都には以下の国公立美術館があります。 「国立西洋美術館」(上野) 「東京国立近代美術館」(竹橋) 「国立新美術館」(六本木) 「東京都美術館」(上野) 「東京都現代美術館」(清澄白河) 「東京都写真美術館」(恵比寿) 「東京都庭園美術館」(目黒) このうち 現代美術 を専門に扱う美術館が「東京都現代美術館」。中心部より少し離れアクセスはあまり良くないですが、企画展のレベルは高く海外からも高く評価されている美術館です。 1995年の開館からは25年近く経ち、一度は訪れた事がある方も多いと思いますので、今回はリニューアル後の変更点を中心にご案内します。 変更点その1 エントランスホールにあった通称「人をダメにするソファー」が「コルクの椅子」に変わった!同時にインフォメーションやサインボードも一新。 リニューアル前のエントランスホール リニューアル後のエントランスホール 個人的には「人をダメにするソファー」が好きだったので寂しい気もしますが、エントランスホールが少し広くなった印象を受けます。コルクという素材は自然を意識し、公園からの続きなども意識し選んだそうです。 変更点その2 レストラン・カフェが変わった! レストラン「100本のスプーン」 レストランのメニュー表も美術館らしい カフェ「二階のサンドイッチ」へは中庭からアクセス可 レストラン・カフェは共に、現代美術のコレクターでもある遠山正道氏が代表を務める株式会社スマイルズによる営業です。特にレストランにはベビーカーでそのまま入れるなど若い世代に優しい工夫や、子供から大人まで楽しめる仕掛けが沢山あるので見つけてみて! 変更点その3 散歩道ができた! 今まで気がつかれなかった「水と石のプロムナード」 建物の下に広がる水と石の空間 もともと公園側にもあった美術館入り口を使用するようになり、水と石のプロムナードを経て中庭に抜けられ、そのままカフェに入る事も出来るようになりました。 変更点その4 美術館の内外に

【アート通信ー39:クリスチャン・ボルタンスキー】

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39回目のアート通信は、現在六本木の「国立新美術館」で大回顧展が開催されているフランスの現代美術家クリスチャン・ボルタンスキー氏(1944-)のご紹介です。彼は映像やオブジェ、そして近年は光、音、匂いといった五感に訴える作品を制作しており、現代、世界で最も重要な現代美術家の1人と言えるでしょう。 現在「国立新美術館」にて出品中の「スピリット」(2013) 彼の作品テーマは、〈生と死〉 〈存在と不在〉 〈記憶〉といったものがほとんどで、そこには常に 〈死〉 のイメージが付きまといます。ボルタンスキーが生まれた時、一家が住んでいたパリはナチスの占領下にありました。父親は改宗ユダヤ人だったので、密告・摘発を恐れ、離婚後に家を出たかのように偽装し1年半も床下に隠れていたそうです。彼は、「その経験と、終戦後に聞いた迫害・虐殺の話が自身に大きな影響を与えた。」と言っています。そして「家族から離れる不安感から初めて1人で外出したのは18歳の時だった。」と言うのですからその影響の大きさは計り知れません。 現在「国立新美術館」にて出品中の「発言する」(2005) 人型のオブジェは死後の世界への番人で、傍を通ると「(死ぬ時)怖かった?」など、問いかけてくる 現在日本で彼の作品を常設で観られるのは以下の3箇所です。 新潟県十日町市に存在する「 最後の教室 」(2006- *ジャン・カルマンと共同制作)は、廃校となった校舎(旧東小学校)を丸ごと使ったインスタレーション作品で、様々な方法で〈人の不在〉を表現しています。 * 不定期開館。2019年8月にツアーでの開館あり。詳しくは HP で確認を 。 また、香川県の豊島には世界中から集めた心臓音を聞ける小さな美術館「 心臓音のアーカイブ 」(2010-)があり、自身の心臓音を録音する事も出来ます。 島の外れの浜辺に建つ小さな建物で展開されている 浜辺はこの世ではないかのような静かさと美しさ。この景色までを作品と捉えて良いのでは? 同じく香川県豊島の静かな森には「 アニミタス(ささやきの森) 」(2016-)があります。はためく透明の短冊には訪れた人が記載した大切な人の名前が、風鈴の音色と共にはためいており、そこはまるで永遠の時を刻む聖地のようです。 「アニミタス(囁き