【アート通信ー44:前川建築と弘前】

44回目のアート通信は、【前川建築と弘前】です。
東京・上野の「東京文化会館」「東京都美術館」の設計でも知られる前川國男氏(1905-1986)は、日本人で初めて近代建築の巨匠ル・コルビュジェ氏(1887-1965)の弟子となった人です。

東京都美術館(1975)

前川氏は新潟市に生まれ、東京大学工学部建築学科を卒業したその日に憧れのル・コルビュジェのパリ事務所に向かいます。帰国後は東京を拠点に活躍しますが、母親が弘前出身という縁から、青森県弘前市には8棟もの前川建築が建てられています。そしてその全てが現存し、処女作もここにあります。

前川國男氏の処女作「木村産業研究所」(1932)

2年のパリ滞在中に出会った木村隆三氏に依頼され、帰国後手がけたのがこちら、地場産業の活性化を目的とした「木村産業研究所」です。現在、こちらはこぎん刺しを扱う「弘前こぎん研究所」として機能しています。

写真では分かりませんが、向かって右側の方に車寄せがあり、同じ高さの窓が続く様子や、入り口付近の吹き抜け空間、天井の色の使い方などからル・コルビュジェの名作「サヴォア邸」(1928-1931)を彷彿させます。

「木村産業研究所」入り口付近

「木村産業研究所」玄関付近、吹き抜け空間

前川氏がル・コルビュジェの事務所で働いていた1928-1930年は、ル・コルビュジェの事務所ではちょうどサヴォア邸に取り組んでいた時なので、その影響を受けた可能性は十分あるでしょう。

弘前市で次に建てられたのが「弘前中央高等学校講堂」(1954)です。こちらは木村隆三の兄がPTA会長をしていたことがきっかになった、との事ですから縁とは面白いものです。そしてその次が「弘前市庁舎」(1958)。

手前の低い方4階建が本館、後ろが新館(1972)

本館は、水平線を強調したデザイン。かつての弘前城があった弘前公園の向かいに位置しており、2階と4階部分に設けられた屋根は、向かいの追手門との呼応を意識しているようです。新館の山型に切り取られた塔は岩木山を意識しているのでしょうか。

新館を横方向から見る

そして弘前公園敷地内にある「弘前市民会館」(1964)へと続きます。

「弘前市民会館」(1964)外観

「弘前市民会館」ロビー空間

コンクリート打ち放しですが、青森県産のヒバの型枠による木目模様が周囲の緑と馴染んでいます。ゆったりした階段のロビー空間も魅力的で、ステンドグラスデザインは弘前市出身の洋画家佐野ぬい氏によるものです。中二階のカフェからはそれを間近に見られるのでお薦めですよ!天気の良い日にはテラスも利用できます。また、朱色は前川氏が好んで使用した色で、壁の一部の赤色がいいアクセントになっています。

そして「弘前市立病院」(1971)「弘前市立博物館」(1976)「弘前市緑の相談所」(1980)と続き、弘前市緑の相談所も弘前公園内にあります。

「弘前市緑の相談所」外観

「弘前市緑の相談所」中庭

こちらの建物は公園内という事もあり、周囲の木々よりも低くなるように設計されているので、気を付けて探さないと見つけられません。建物内部には植物に関する相談コーナー、盆栽などの展示、休憩コーナーなどがあります。

建物の裏手、中庭には大きなソメイヨシノ(現在、幹回り日本一!)があり、その姿を生かし枝を一本も落とさず済むように、とL字型に設計したそうです。

弘前で彼が最後に設計したのが「弘前市斎場」(1983)で、街の中心から少し離れたところにあります。外観は「弘前市緑の相談所」と同じく氏がよく使用した打ち込みタイル。ちなみに前川氏が人生において斎場を設計したのはここだけで、それもありかなり力を入れて設計したのではないかと言われています。

日本近代建築の巨匠・前川氏の作品が1つの市に8棟もあるのは珍しい事です。その重要性から、弘前市には「前川の会」という一般市民の団体があり、貴重な文化財として大切にしていく為の活動がなされています。市でも大事な財産として広報に努めているので参考にして下さい。

前川の会
弘前市の前川建築


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