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【アート通信ー109:「ミロ展」】

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 109回目のアート通信は、現在、東京都美術館にて開催中の「ミロ展」からです。 *写真は全て、東京都美術館の内覧会にて許可を得て撮影しています。 「ミロ展」入口付近 太陽や月などを象徴的な姿で描いた絵で知られる 世界の巨匠、 ジュアン・ミロ ( 1893-1983)。 この展覧会では、彼の 絵画・陶芸・彫刻に渡る100点近い作品が紹介されています。 では早速、鑑賞のポイントとなる作品や逸話を、年代順にご紹介していきましょう。 『ヤシの木のある家』( 1918) 国立ソフィア王妃芸術センター 蔵 まずはこちらの作品。よく知られるミロの作品とはだいぶ様子が違いますね。初期の作品で、休養中の モンロッチで描かれました。 ジュアン・ミロは、 幼い頃より絵を描く事が好きでした。しかし 会計の仕事に就いた後 うつ病などになり、 両親の別荘があるモンロッチで休養したのです。その休養中、仕事を辞めて 好きな絵画に打ち込む事を決意しました。 バルセロナから140キロの美しい自然が残る村、モンロッチ。ここは、その後も迷いが生じる度に訪れ、アトリエも設ける、彼にとって大事な土地となります。 『自画像』( 1919) パリ・国立ピカソ美術館 蔵 そしてこちらの 「自画像」。 なんとあのピカソがずっと手元に置いていた作品です。 ミロは27歳の時、展覧会でパリを訪れ、同郷の大先輩ピカソを訪問します。ピカソはミロの才能をいち早く見抜き、届けられたこの作品を大事にしました。 やがてパリにアトリエを構えたミロは、ピカソの家族と家族ぐるみで交流するようになりますが、実は、ピカソの実家とミロの実家は500メートルほどしか離れておらず、母親同士が友達、という縁もあったのでした(!) 『絵画=詩  ( おお!あの人やっちゃったのね ) 』 ( 1925) 東京国立近代美術館 蔵 パリ時代のミロは、 当時湧き上がっていた新しい芸術の波に圧倒されながらも、シュルレアリスムの作家と交流をもち、様々な事に挑戦し、力をつけていきます。 この作品はその頃の作品で、絵画上に言葉 『oh!un de ces /messieurs qui a fait / tout ca  ( おお!あの人やっちゃったのね )  』が書かれています 。“やっちゃった”とは、何をやってしまったのか?晩年、...

【アート通信ー92:「大巻伸嗣 真空のゆらぎ」展】

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 92回目のアート通信は、現在、六本木の 国立新美術館 にて開催中の 「大巻伸嗣 真空のゆらぎ」展 からです。 大巻伸嗣氏(1971-)は、そのキャリアを彫刻からスタートさせましたが、現在は、 《存在とは何か?》 をテーマにした空間をはじめ、ダンサーとのコラボレーション、舞台美術なども手掛けています。 「Gravity and Grace」(2023) 会場に入るとまず、巨大な空間とそこに鎮座し光を放つ不思議な壺に目を奪われるでしょう。 「Gravity and Grace」(2023) 紙のように軽やかに見えるこの壺は、実はステンレスで出来ており、そこには植物・鳥・人などが繊細に刻まれています。そしてそれらは壺の中から放たれる強い光で浮き彫りになり、影絵にもなっています。 「Gravity and Grace」(2023) 部分 よく見ると、巨大な葉っぱや花などが絡む、植物ジャングルの中を歩く人の列も見えますよ。 「Gravity and Grace」(2023) 会場では、床・壁・天井に映し出され刻々と変わっていく景色と、自分がそこに存在し何かに包まれている感じも、是非味わって下さい。 大巻氏は、この作品では、《エネルギーに過度に依存した今日の社会を批評し、原子力が生み出した未曾有の人災、核分裂反応の爆発的なエネルギー》も意識しているそうですが、 「Gravity and Graceーmoment2023」 私はむしろ次の部屋に展示されている、こちらの作品からそれを感じました。こちらは、印画紙の上に直接ものを置き焼き付けるフォトグラムの手法を用いています。みなさんはどのように感じられるでしょうか。 記録映像の上映とドローイングの展示 《存在とは何か?》を追求するにあたって、氏は《空間との境界線となる身体の動き》に注目し、早くからダンサーとのコラボレーションに取り組み、その舞台美術も手掛けています。 続く部屋では、氏が今まで手掛けてきた舞台美術などを紹介しています。 「 Rain 」(2023)の記録映像 ゆったり椅子に座って、過去に上演された 「 Rain 」 (2023) 「 Futuristic Space 」 (2019) 「 freeplus × HEBE× 大巻伸嗣」 (2019)の記録映像を鑑賞出来るのは、かなりのお得感!そしてこれを観ると、...

【アート通信ー91:「棟方志功展」】

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91回目のアート通信は、現在、 東京国立近代美術館にて12月3日(日)まで 開催中の「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」 からです。 この展覧会は、「富山県美術館」「青森県立美術館」と巡回し、東京が最終地です。 ここでは、ポイントとなる作品と共にご案内します。 展覧会入り口 棟方志功(むなかたしこう)は、1903年に青森県青森市に生まれました。 18歳の時に、雑誌でゴッホの 「向日葵」を見て画家になる事を決意。時間さえあれば写生をし、本を読み、地元で芸術グループを結成するなど活発に活動し、 21歳で上京します。 『星座の花嫁』より「聖堂に並(なら)ぶ三貴女」(1928) 南砺市立福光美術館 上京後は、同郷のネットワークや文学仲間からもらった 挿絵や装幀の仕事をしながら 油画を描き続けます。 しかし 帝展は毎回落選。そこで油画を諦め、 日本独特のもの、 木版画で挑む事を決意 します 。 世界のムナカタへのスタートです。 しかし当初は、日本独自のものと言いながら西洋のモチーフも制作していました。 上の写真は、 版画公募展で初入選となった4点のうちの1点です。 会場にはこんな可愛らしいムナカタの作品がこの他9点あり、必見です! 「大和し美わし」(1936)より『剣の柵』『矢燕の柵』 日本民藝館 そしてこちらは、佐藤一英氏の、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の一代記を詠った 長編詩を版画化した作品 「大和し美わし」 です。文字と絵が渾然一体となって進んでいくスピード感溢れる作品で、 彼が作品に文字を用いた初めての作品 でもあります 。 そして 実は、棟方が世に出て行くきっかけとなった作品 でもあるんです 。 棟方は、この作品を第11回国画会展に搬入しましたが、サイズ超過で展示拒否に遭ってしまいす。そこを偶然通りかかった審査員の濱田庄司氏と柳宗悦氏が取りなし展示可能に。更に、この作品を気に入った柳氏はなんと、開館予定の日本民藝館の所蔵作品としてこの作品を買い上げたのです!これをきっかけに棟方は民藝運動のネットワークにも迎えられ、作品も大きく前進していきます。 「慈潤」(1945) 日本民藝館 空襲が激しくなり、棟方一家は、民藝運動の河井寛次郎を通して知り合った光徳寺の住職の招きで、 富山県の福光に疎開します 。疎開先では、版画に用いる板の不足から、...