道具も使いよう
東京都写真美術館にて「佐藤時啓 光ー呼吸 そこにいる、そこにいない」(2014年5月13日~7月13日)を拝見しました。
ペンライトや手鏡を用いて人の動き(光の軌跡)を写真で表現したシリーズ ‘光ー呼吸’ は、時の経過を映し出している点を除けば、ある意味彫刻といえるのではないでしょうか。
また、その場の風景やそこに漂う空気までを撮りたいと使用した、ピンホールカメラの球体状設置と360度撮影によるシリーズ ‘Gleaning Lights' も、平面の顏をした立体、彫刻と言えるかもしれません。
一方デジダルカメラを使用した実験、 `Gleaning Lights 2' ではその場をしっかり認識させながら、どこか未来をも予感させます。
そして漂白するカメラでの試み ‘Wandering Camera 2' はもはや地球規模となり、未完と思えるこのシリーズは今後の展開が楽しみです。
彼の作品に出会ってからもう20年以上経ちますが、
コンピューターもきちんとした意志を持ち、それを成し遂げる為の道具として使うと、伝えたいイメージがきちんと伝わり、強いメッセージを放つ作品となる。
そんな事を強く感じた展示でした。
ペンライトや手鏡を用いて人の動き(光の軌跡)を写真で表現したシリーズ ‘光ー呼吸’ は、時の経過を映し出している点を除けば、ある意味彫刻といえるのではないでしょうか。
また、その場の風景やそこに漂う空気までを撮りたいと使用した、ピンホールカメラの球体状設置と360度撮影によるシリーズ ‘Gleaning Lights' も、平面の顏をした立体、彫刻と言えるかもしれません。
一方デジダルカメラを使用した実験、 `Gleaning Lights 2' ではその場をしっかり認識させながら、どこか未来をも予感させます。
そして漂白するカメラでの試み ‘Wandering Camera 2' はもはや地球規模となり、未完と思えるこのシリーズは今後の展開が楽しみです。
彼の作品に出会ってからもう20年以上経ちますが、
コンピューターもきちんとした意志を持ち、それを成し遂げる為の道具として使うと、伝えたいイメージがきちんと伝わり、強いメッセージを放つ作品となる。
そんな事を強く感じた展示でした。