投稿

2024の投稿を表示しています

【アート通信ー103:「はにわ」展】

イメージ
 103回目のアート通信は、現在、 東京国立博物館 平成館 にて開催中の、 挂甲の武人 国宝指定50周年記念特別展「はにわ」 からです。 可愛いです。可愛いという一言で片付けてはいけないと思いますが、やはり全て可愛いです。それは、可愛いものを愛でる、あるいは可愛いものを作るのが好き、という日本人の特質は古来よりだったんだ!と認識した程です。 平成館入り口を入ってすぐのポスター そもそも 『はにわ』とは 、古墳時代(3−6世紀)に権力者の墓である古墳の上や周りに立てられた焼き物です。目的は、墓に邪悪なものが入り死者を苦しめないようにする為と言われており、その形は様々です。早速、観ていきましょう! 「埴輪 踊る人々」正面   埼玉県熊谷市 野原古墳出土,  6世紀, 東京国立博物館蔵 展示は5章からなり、【 第1章  王の登場 】 は全て国宝、という珍しい展示スタイルで始まります。 まずはお馴染みの 「埴輪 踊る人々」 。ファンドレイジングの力も借りた修理後、初のお披露目です。左の人が少し大きく、右の人の髪は結い上げられている様なので、男女、と思いがちですが、実は2人とも男性。 この髪型は『みずら』と呼ばれる耳の前で毛束を作る男性の髪型で、ちなみに、これをつければあなたも古代の人、みずらヘアーになれる『みずらカチューシャ』がこの展覧会のミュージアムショップで売られていますよ! 「埴輪 踊る人々」背面  埼玉県熊谷市 野原古墳出土,  6世紀, 東京国立博物館蔵 また、背面から見ると『みずらヘアー』の左側の人は腰に鎌をつけているので、踊っているのではなく、馬を曳きながら食べる草を刈っているのでは?という説もあるそうです。どうでしょう?  【 第2章  大王の埴輪 】 は、天皇の系譜に連なる古墳の紹介、 【 第3章  埴輪の造形 】では、家や船など様々な形の埴輪が紹介されており、どちらも興味深い展示です。 第4章 「埴輪 挂甲の武人」展示風景 ハイライトはやはり、【 第4章  国宝 挂甲の武人とその仲間 】の 「挂甲(けいこう)の武人」 5体でしょう。この5体は群馬県太田市の同じ工房で焼かれており、更に同じ職人によって作られたのでは?とまで言われています。しかし保管場所がそれぞれ異なるので、兄弟のような5体が勢揃いするのは史上初めて!滅多に無いチャンスです。 後ろにも回って

【アート通信ー102:梵寿綱「マインド和亜」】

イメージ
 102回目のアート通信は、東京都杉並区にある集合住宅 「マインド和亜」 からです。  壁面は白蓋文章氏による木材造形  「マインド和亜」は、 梵寿綱 (ぼん じゅこう 1934- )氏の設計による、一部分譲の賃貸住宅ですが、ご覧のように一般の賃貸住宅とは大いに趣が異なります。それは建物自体が、アーティスト、職人、建築家によるアート作品だからです。   オーナーの石井氏は大手ゼネコンに勤めていましたが、没個性の建物を建て続ける事に疑問を感じ、最後は長く愛され残る建物を建てようと決心し、それが叶いそうな建築家である梵氏に依頼したそうです。 「 マインド和亜」エントランス まず入り口から違います!まるで貴族の邸宅の様なエントランス空間。美しい鉄の扉は鍛金作家の 倉田光太郎 氏によるもの。 エントランス上部 エントランスの上部空間には 下ノ本正史 氏による ステンドグラスの光が満ちており、自然 光により変化し続ける幻想的な空間は本当に美しく、いくら見ていても飽きません。 中庭を見下ろす 中庭はアーティスト達が競って埋め尽くすかの様な迫力です。 壁面のコンクリート彫刻は 久保田啓祐 氏、ステンドグラスは 矢島哲郎 氏、美しい塗り壁は 久住章 氏、そして床の見事な大理石モザイクは 上哲男 氏によるもの。 装飾はゴミ捨て場にも コンビニのメインカラーのオレンジとマッチしている装飾 「マインド和亜」は1992年に竣工しました。地下1階、地上5階建です。地下にはスタジオ、1階にはカフェ、コンビニなどの店舗などが入り、2階から上が住居です。 装飾は地下への階段、非常階段のガラス戸、軒下の細部などにも施され、各住居までの非日常感がたまりません! でも、素敵だけど住んでいる人は装飾が多すぎて落ち着かないのでは?と思う方はご心配なく、アーティスト、職人との共同作業は共用部分のみ。それぞれの住居スペースは至って普通の作りです。ちなみに家賃は意外にも相場(!) 「 マインド和亜」中庭 そして、この素敵な中庭では毎月コンサートなどが開かれ、その際は近隣の方々にも解放されるとか。毎月何らかのイベントを堪能出来る住民が羨ましいです。 オーナーの石井さんに案内してもらいながら気づいたのは、ここにはオーナーの人柄も反映されていると言う事。建てて終わりではなく、住民や近隣の人の状況や交流にも気遣いながら運

【アート通信ー101:「養老天命反転地」】

イメージ
 101回目のアート通信は、岐阜県養老郡養老町の養老公園にある「養老天命反転地」からです。「養老天命反転地(ようろうてんめいはんてんち)」は国際的芸術家である荒川修作氏とマドリン・ギンズ氏による建築プロジェクト作品。1.8haに及ぶ敷地全てが丸ごと作品です。 園内の様子と『養老天命反転地記念館』(外観・部分) 養老は地名で、天命反転地というのは、読んで字の如く、天命を反転させる場所。ここでの体験により自身の感覚をひっくり返し、感性を解き放つことで、『死』へ向かう人間の宿命を反転させられるのでは?そういう場所になるのでは?という意味です。〈死なないため〉にどうする?これは彼らが生涯探究し続けたテーマなのです。 『養老天命反転地記念館』(内部・部分) まずはデッサンなどが展示してある記念館からスタート。ここに入るとまずその鮮やかな色彩に目を奪われますが、足元にも注意!平ではありませんよ!そして迷路にもなっています。 また天井と床をよく見ると上下が対に!まさに反転。写真を撮ってひっくり返すと、宙にぶら下がっているような写真に! 『極限で似るものの家』(外観・部分) 特に順番は決まっていませんが、てっぺんに井戸がある『昆虫山脈』をよじ登り、正式な入り口と言われる『不死門』を通ると、『極限で似るものの家』があります。 屋根は岐阜県の形をしており、地面には岐阜県とその周辺の地図が描かれています。丸くくり抜かれているのは結構深い穴! 『極限で似るものの家』(内部・部分) 中はやはり迷路状態。ここは住めるようで住めない家。足元に気をつけて天井も見上げてみて。 ちなみにパンフレットには2人からの提案として、「今、この家に住んでいるつもりで、また隣に住んでいるようなつもりで動き回ること」と書かれています。 『 精緻の棟』(外観) そこから、急な坂を登ると『 精緻の棟』。中にも入れます。自分が真っ直ぐ立っているのか、地面が傾いているのか分からなくなる、 人間の持つ遠近感や平衡感覚を狂わせる不思議な体験! この坂面を端まで行くと、すり鉢状の土地に 9つのパビリオンが展開する楕円形のフィールドが見えます。 楕円形のフィールド(部分) パビリオンに行く為に溝を歩いていたらそれがいつの間にか道となっていたり、道だと思い歩いていたらそれが壁になっていたり、壁がいつの間にか屋根になっていたり、多分こ

【アート通信ー100:「ヨックモックミュージアム」】

イメージ
 100回目のアート通信は、東京・青山にある小さな美術館、 ヨックモックミュージアム からです。 美術館外観 あの青い缶に入った葉巻のようにくるくる巻かれたクッキー、シガールをご存知でしょうか?ヨックモックミュージアムは、そのシガールを販売している株式会社ヨックモックホールディングスの会長、藤縄利康氏がコレクションした ピカソの陶芸作品を中心としたプライベート美術館 です。2020年にオープンしました。 展示風景(地下1階) フクロウを手にするピカソ スペイン南部のマラガで生まれたパブロ・ピカソ(1881-1973) は、はじめ美術教師の父から絵画の指導を受けます。その後、独自の新しい絵画スタイルを次々に確立し有名になりましたが、晩年は陶芸にはまり、南仏ヴァロリスのマドゥーラ工房に籠り、まるで魔法使いの様にその手から様々な作品を生み出しました。 「牡牛を槍で突く闘牛士」(1953) 展示は地下1階から始まり、『闘牛』『鳩』『フクロウ』など、ピカソが好んだテーマごとに紹介されています。 一番初めのテーマは『闘牛』。スペイン人のピカソは、幼い頃から闘牛好きの父に連れられて闘牛場に通っていました。彼が9歳の時に初めて描いた油絵も、闘牛に登場するピカドール(闘牛が始まる前に、牛を怒らせる人)だったと言いますから、その闘牛好きは筋金入りですね! 「鳥型の水差し」(1953) そしてテーマは『鳩』へと続きます。ピカソは鳩小屋を作って鳩を飼っていたほどの鳩好き。よく作品のモチーフにも使用しており、1949年制作の鳩の版画は同年のパリ平和会議のポスターに使用されたんですよ。 「四角い顔」(1956) そしてテーマは『小さな生き物』『牧神』と続きます。解説ビデオの中に、「陶芸を作っているのではない、ピカソ作品を作っているのだ」という言葉が出てきますが、写真の皿一つとっても、自由に凸凹を付け、自在に描きたいものを描き出しているのが分かります。 「女性型の燭台」(1955) 2階では、ピカソの陶芸制作風景やマドゥーラ工房へのインタビューのビデオ上映があり、当時の様子を知る事が出来ます。また隣の展示室には、そのビデオに出てきた作品が展示されていますよ。 自由に写真を撮る事が出来るフォトスポット フォトスポットもあり、この椅子に座って写真に収まることが出来ます!素敵な写真が撮れそう。 明るい

【アート通信ー99:「結 MUSUBI」展】

イメージ
 99回目のアート通信は、現在 、東京・上野の東京国立博物館・表慶館にて開催中の「カルティエと日本 半世紀のあゆみ『結  MUSUBI』 展ー美と芸術をめぐる対話」からです。 会場の 東京国立博物館・表慶館 (正面部分) この展覧会は、カルティエが日本に最初のブティックを開いてから50年を記念して開催されています。 カルティエはフランスの高級宝飾品ブランドとして知られていますが、パリには「カルティエ財団現代美術館」という美術館があり、世界各国の注目すべきアーティストの紹介をするなど、実は美術にとても力を入れている会社なんです。 会場の 東京国立博物館・表慶館 (斜めより部分) 会場の表慶館は、6つある東京国立博物館の建物( 本館、 平成館、 東洋館、法隆寺宝物館、黒田記念館、表慶館 )のうちの1つで、 明治時代に建てられた、まるで宮殿のような作りの建物です。 設計は、宮内省の建築家・片山東熊で、1908(明治41)年に完成。日本人が設計した洋風宮殿建築の極みとして、 1978 (昭和 53 )年には重要文化財に指定されています。 澁谷翔「日本五十空景」(2024) 作家蔵 展覧会は、そんな建物の構造も存分に生かした構成です。 入り口を入ってすぐの円形回廊では、今回の展覧会の為に制作された、 澁谷 氏による 「日本五十空景」(2024)が円形ホールをぐるっと囲むように展示。 この作品は、歌川広重と「東海道五三次之内」(1832)へのオマージュでもあります。氏は、日本橋から出発し、35 日で47都道府県全てを訪れ、そこで広重も見ていたであろう空の景色を、その土地の地元新聞の一面に描いていきました。裏面は同紙面となっているので、こちらのチェックも忘れずに! 〈カルティエと日本〉 展示風景 ここからは、左右対称の建物構造を生かし、主に右側が〈カルティエと日本〉についての展示、左側が〈カルティエ現代美術財団と日本のアーティスト〉の紹介、という展示構成になっています。 「大型の『ポルティコ』ミステリークロック」(1923) カルティエ コレクション まずは、右側の 〈カルティエと日本〉 から。 創業者の孫にあたるルイ・カルティエは、19世紀末より日本の“かたち”に興味を持ち、様々な収集をしてきました。それは印籠や和紙の型紙などで、その数は200点以上に及びます。 まず一番初

【アート通信ー98:「デ・キリコ展」】

イメージ
98回目のアート通信は、現在、上野の 東京都美術館 で8月29日まで開催されている 「デ・キリコ展」 からです。  「デ・キリコ展」ポスター ジョルジュ・デ・キリコ(1888-1978) は、1888年にギリシャで生まれました。ドイツで絵の勉強をした後、イタリアやフランスで他のアーティストと交流を持ち、やがて 「 形而上絵画 ( けいじじょうかいが)」 という手法を提唱するようになります。 難しい字ですが、 形而上絵画とは、目に見えないものを描こうとする絵画で、手法としては、時間や空間を意図的にずらして描く、といったものがあります。これは後のシュルレアリストにも影響を与えました。 私達も、異次元に飛んでいるような状態を『シュール』と言ったりしますが、彼らはまさにその状態を描いた、描こうとしたと言えるでしょう。 「デ・キリコ展」展示風景 展覧会会場の色合いや壁の設置は、まるでキリコの世界に飛び込んだかの様で、作品は年度順ではなく、テーマごとに区切って展示されています。 「デ・キリコ展」展示風景 一番初めの 自画像・肖像画 セクションでは、彼の人となりや、その画風をざっくり把握で出来ますよ。 「17世紀の衣装をまとった公園での自画像」(1959) ジョルジュ・エ・イーザ・キリコ財団  例えば、舞台上の人物に扮したキリコの自画像からは舞台芸術との関係や自己顕示欲の強さを推し量れます。また人物と背景のバランスがくずれており、現実には見えない世界をも表現しようとしていた事が解ります。 「デ・キリコ展」展示風景 続く 形而上絵画 セクションでは、第一次世界大戦の足音を感じ、戦争中の体験から生まれた彼独自の表現とその展開が紹介されています。 「 形而上的なミューズたち」(1918) カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館(フランチェスコ・フェデリコ・チェッルーティ美術財団より長期貸与) その中には、彼の作品における代表的なモチーフである マヌカン のシリーズもあります。 第一次世界大戦が始まった頃より、キリコはマネキンをモチーフの一つとして使い始めます。敢えて顔の見えない人型を用いる事で人間存在の意味を探究していたのでしょうか。 「横たわって水浴する女 (アルクメネの休息) 」(1932) ローマ国立近現代美術館  伝統的な絵画への回帰 セクションも注目です。 例えばこちら、後の