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【アート通信ー77:「みんなの椅子」】

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 77回目のアート通信は、9月5日(月)より武蔵野美術大学美術館で後期の展示が始まる「みんなの椅子」展からです。 美術館は武蔵野美術大学の敷地内 時代は16世紀から。世界で製作されたその時代を代表する約250脚が展示されています。その展示だけでも一見の価値ありなのですが、この展覧会の素晴らしいところは、ほとんど全ての椅子に座れるところです。一部座れない椅子もありますが、世界中から集められた有名デザイナーの椅子に座れる機会はなかなかありませんよ! 展示の仕方も素敵 また、一部の椅子は販売もされているので、購入希望の方はリンクサイトからの購入も可能です。日本人のデザイナー倉俣史朗氏(1934-1991)、梅田正徳氏(1941-)の椅子は別室を設けて展示しています。 体験には用意されたビニール手袋をはめる 使った事はなくても、教科書で、画集で、あるいは映画で見かけた、という椅子もあり、そんな椅子に座る時はちょっとドキドキします。この機会にお気に入りの椅子を見つけてみては? 「バンビーニ」 ちなみに私のお気に入りは、こちらの椅子。マルコ・ザヌーゾ、リチャード・サッパーによる「バンビーニ」。子供用なのにとても座り心地が良く可愛い!製造年が1964年頃、というのにも驚きます。 会場内にも解説がありますが、事前に美術館HPで予習、もしくはHP内のムービー「テラダセンセイのISU is More」を観てから訪問するのも、より理解が深まるのでお薦めです! 展示は10月2日(日)まで 「みんなの椅子 ムサビのデザインⅦ」

【アート通信−76:「ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで」】

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 76回目のアート通信は、東京都現代美術館で開催中の「 ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで」からです。 「ジャン・プルーヴェ展」ポスター部分 ジャン・プルーヴェ(1901-1984) は、20世紀の建築や工業デザインに大きな影響を与えた金属工芸家、家具デザイナーで、機能的で革新的なプレファブ住宅を考案した人です。 彼はフランス東部のアール・ヌーヴォーの街、ナンシーで、エミール・ガレ(1846-1904)と共に仕事をし、国立工芸学校の校長も務めた芸術家の父と音楽家の母の元で育ちました。そんな環境で育ったプルーヴェが、デザインの道に進むのはごく自然なことだったのでしょう。 しかし、彼が評価されるのはデザインの素晴らしさだけではありません。それがどんなところだったのか、早速、観ていきましょう! 《「プレジダンス」デスクNo.201》(1955頃),《「ディレクシオン」回転式オフィスチェアNo.353応用型 (1951), メッスの学校で使用していた《本棚》( 1936) 会場はまず、彼がデザイン・製作した家具の展示から始まります。 「 家具の構造を設計することは大きな建築物と同じくらい難しく、高い技術を必要とする 」 は彼の言葉です。 《組み立て式ウッドチェア CB 22》(1947) そして続く椅子の展示では、 「 家具をつくることと家を建てることに違いはない。実際、それらの材料、構造計算、スケッチはとても似通っている 」 と言っており、会場中央に展示してある解体可能な椅子のパーツからもそれが分かります。 ずらっと並んだ歴代の椅子の展示は圧巻ですよ! 《「カフェテリア」チェア No.300》(1950頃) プルーヴェは椅子を後ろに少し倒して座るのが好きで、後脚を丈夫にし傾けやすくした「スタンダードチェア」が誕生しました。その中でも「カフェテリア」は、バラバラに解体して輸出しやすくなっています。 マクセヴィルの工場の建物パーツ 金属工芸家時代から階段の手すりやドアなど建築に付随するものをデザイン製作していたプルーヴェですが、第2次世界大戦後は迅速な住宅供給の必要性が高まり、ナンシー郊外 マクセヴィル の工場で特に建築パーツの製作に力を注ぎます。 「 建設は・・・、素材の原理によるものだ。だから正確に図面を引き、材料の物理的な性質を知らなければならない。私は自分...

【アート通信ー75:「東京都美術館」】

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 75回目のアート通信は、東京・上野の「 東京都美術館」 からです 。 今回は展示内容ではなく、美術館そのものが持っている魅力をご案内します。 東京都美術館敷地入り口付近 「 東京都美術館 」 は、 日本初の公立美術館 「 東京府美術館 」として 1926 年に 開館しました 。その後、 老朽化により1975年に 前川國男 氏 ( 1905- 1986 ) の設計で 現在の建物に 建て直されました。 また、 収蔵品の大部分は「 東京都現代美術館 」の開館( 1995 年)に伴い移管されたので、都美術館は収蔵品を持たず企画展や公募展に使用されています。 木々に埋もれるように建つ東京都美術館 都美術館は公園の中という立地の為、規制により建物の約60% は地下にあり(地下3階地上2階建て)、周りの環境に上手く溶け込んだ美術館となっています。 建畠覚造「さ傘( 天の点滴をこの盃に)」(1973) 展示室の入り口が地下にある為、すぐエレベーターで下に降りてしまう人が多いようですが、屋外には彫刻が10点展示されているのでじっくり鑑賞してみるのもいいのではないでしょうか。 「レストラン ミューズ」のカウンター席は1人でも利用しやすい 彫刻鑑賞の後は、1階の「カフェ アート」や2階の「レストラン ミューズ」で休憩が出来ます。特に2階の「レストラン ミューズ」はスペースも広く、公園の緑に囲まれてゆっくり過ごせるのでお薦めですよ! 朝倉文夫「佐藤慶太郎像」(1926 「カフェ・アート」の隣には「佐藤 慶 太郎記念 アート ラウンジ」があり、他の美術館の資料などの情報収集にも便利です。 ところで、佐藤 慶 太郎氏 (1868-1940) とはどんな人物なのでしょうか? 氏 は 北九州の石炭商で、いつでも 美術に触れられる場が欲しい、 となんと「 東京府美術館」の 建設資金の全額! 100 万円(現在の 40 億円相当)を寄付した方なんです。 そんな彼に敬意を表してラウンジに佐藤 氏の名前を冠しています。 入り口入ってすぐ、ミュージアムショップ前の天井 今度は展示室への入り口、地下1階から見ていきましょう。入り口を入り、上を見上げると、アーチ形のかまぼこ天井とペンダントライトに目が留まります。 これらは 美術館設計者、 前川氏拘りのデザインで、 ペンダントライトは 都美術館の為に作...

【アート通信ー74:「水庭」】

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 74回目のアート通信は、栃木県那須郡那須町にある「水庭 (みずにわ)」からです。 石上純也「水庭」(2018) 水庭とは、建築家の石上純也氏 (1974-) の作品で、『アートビオトープ那須』にあります。建築家の作品なのに建物でなく景色?庭 ⁇と思うかも知れませんが、こちらは紛れもなく建築家による作品です! 石上純也「木陰雲」(2021) パビリオン・トウキョウにて 石上氏はそこにあった土地の歴史、景色を強く意識する人です。例えば、『パビリオン・トウキョウ2021』の「木陰雲」では昭和2年に建てられた実業家の庭に、廃墟から覗く景色を作り出そうとしていました。 また、近々一般オープン予定の山口県宇部市の、洞窟のようなレストラン「メゾン・アウル」は、“一万年からそこにありそうで、一万年後もそこにありそうなレストラン” というコンセプトで作られています。 飛び石が続く「水庭」(2018) そしてこちらの「水庭」は、318本の木と160個の池、地面を覆う苔から成り立っています。実はこの景色、元々ここにあったものではなく、牧草地に新たに作り出されたものなんです。 例えば木々は、隣のレストラン・ビラを建設する際に伐採予定だった木を一本一本移植したもので、その配置は全て綿密に計算された設計図に基づいています。また池もそこにあったものではなく、隣の川から引き込み、また戻るように作り込まれています。 ここは元々は森林でした。それが水田となり、牧草地になったその歴史をなぞるように必要な要素が埋め込まれています。 「水庭」(2018) 石のベンチでの休憩も気持ちいい その作品の中にもおたまじゃくしが住み着き、カルガモが散歩し、蝶も舞っています。歴史をたどり、未来に向かうこの不思議な景色の中で、私たち人間は飛び石をたどって、時には石に腰掛けぼ〜としたり、空を仰ぎ見たり、木漏れ日を探したり、と静かで不思議な世界を体感出来るのです。 「アートビオトープ」入口付近 「アートビオトープ」とは、アートとビオトープを組み合わせた造語で、生命の源となる自然の中で、アートをテーマに人が集い、交感し、生み出されていくものを求めて名付けられました。 アトリエ・ワンの「ホワイトリムジン」がある中庭 受付を兼ねるギャラリーカフェの中庭では、点在するアートを鑑賞したり、お茶を飲みながら寛ぐことも出来ます。...

【アート通信ー73:「Chim↑Pom展」】

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第73回目のアート通信は、現在六本木の森美術館で開催されている「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」からです。 「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」ポスター Chim↑Pomは、 卯城竜太・林靖高・エリイ・岡田将孝・稲岡求・水野俊紀の 6人のメンバーによるアート集団で、この矢印も含めてグループ名です。ちょっと過激な芸術活動をしています。 例えば東日本大震災後、渋谷駅の連絡通路にある岡本太郎 (1911-1996) の壁画に、何者かが落書きを加えたというニュースを覚えてませんか?その何者かがこのグループです。 チムポムの作品が加えられた 「明日の神話」 あの事件(活動)は正しくは落書きではなく、岡本氏の作品外の右下部に、同じタッチで描いた絵を加えたものでした。 ではなぜそうしたのか? それは、 「明日の神話」( 1968-1969) は、原爆の炎に焼かれながらも打ち勝つ人間の生命の強さを描いた作品、福島の原発事故でヒバクの歴史は更新され、「明日の神話」も更新されるべき、と思い4棟の原子炉から黒煙が上がっている絵を添えた。 のだそうです。 「LEVEL 7 feat.『明日の神話』」(2011) 「PAVILION」での展示風景 この話には後日談があり、けしからん!と非難が沸き起こる中、岡本太郎記念館館長の平野暁臣氏は、“芸術は爆発だ!と言っていた岡本が生きていたらむしろ喜んだだろう”と、なんと記念館で彼らの個展「PAVILION」を開催したのです。そして問題となった作品「LEVEL 7 feat.『明日の神話』」を記念館の収蔵作品にしました。芸術とはかくあるべきですね! このようにゲリラ的に活動する事が多いアート集団なので、あの森美術館でどのように展示するのだろうと思っていましたが、斬新な展示方法でうまくチンポムの世界を引き出しています。 「Chim↑Pom展」展示風景 展示会場の約半分はアスファルトの道で上層と下層に分かれています。そしてその下層部の天井は低く圧迫感があり、鑑賞者は都会の裏側を徘徊している気分になります。この下層スペースに チンポムの作品によく見られる道や街にまつわる作品が多く展示されています。 「ブラック・オブ・デス」 (2007/2013) 例えば、バイクや車で走りながらカラスの剥製を掲げ、カラスの大群を引きつ連れる映像作品「ブラック・...