【アート通信−76:「ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで」】
76回目のアート通信は、東京都現代美術館で開催中の「ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで」からです。
「ジャン・プルーヴェ展」ポスター部分 |
彼はフランス東部のアール・ヌーヴォーの街、ナンシーで、エミール・ガレ(1846-1904)と共に仕事をし、国立工芸学校の校長も務めた芸術家の父と音楽家の母の元で育ちました。そんな環境で育ったプルーヴェが、デザインの道に進むのはごく自然なことだったのでしょう。
しかし、彼が評価されるのはデザインの素晴らしさだけではありません。それがどんなところだったのか、早速、観ていきましょう!
《「プレジダンス」デスクNo.201》(1955頃),《「ディレクシオン」回転式オフィスチェアNo.353応用型 (1951), メッスの学校で使用していた《本棚》(1936) |
会場はまず、彼がデザイン・製作した家具の展示から始まります。
「家具の構造を設計することは大きな建築物と同じくらい難しく、高い技術を必要とする」
は彼の言葉です。
《組み立て式ウッドチェア CB 22》(1947) |
そして続く椅子の展示では、
「家具をつくることと家を建てることに違いはない。実際、それらの材料、構造計算、スケッチはとても似通っている」
と言っており、会場中央に展示してある解体可能な椅子のパーツからもそれが分かります。
ずらっと並んだ歴代の椅子の展示は圧巻ですよ!
《「カフェテリア」チェア No.300》(1950頃) |
プルーヴェは椅子を後ろに少し倒して座るのが好きで、後脚を丈夫にし傾けやすくした「スタンダードチェア」が誕生しました。その中でも「カフェテリア」は、バラバラに解体して輸出しやすくなっています。
マクセヴィルの工場の建物パーツ |
金属工芸家時代から階段の手すりやドアなど建築に付随するものをデザイン製作していたプルーヴェですが、第2次世界大戦後は迅速な住宅供給の必要性が高まり、ナンシー郊外マクセヴィルの工場で特に建築パーツの製作に力を注ぎます。
「建設は・・・、素材の原理によるものだ。だから正確に図面を引き、材料の物理的な性質を知らなければならない。私は自分でつくった部材で建てると決めた。主に鋼鉄、木材とアルミニウムを組み合わせた軽量な部材で」
会場には工場で使われていたパーツが設置され、その質感、通気口や窓の開閉の様子などを間近で確認出来ます。
現コンゴ共和国のエールフランス社にて使用の家具 |
《「 S.A.M.」テーブルNo.506 》アフリカ型》(1952)のパーツ |
カメルーンの学校で使用した《プリーズ・ソレイユ(日除けルーヴァー)》(1964) |
そして販路がアフリカまで拡大すると、解体出来る建築パーツの需要は更に高まり、運びやすい工夫、風通しなど暑さに対する配慮もなされていきます。
プレファブ工法の建物《「メトロポール住宅」(プロトタイプ、部分)》(1949) |
鋼鉄とアルミニウムでつくられた「メトロポール住宅」部分 |
1939年に特許をとった「ポルティーク」 |
また、1939年に特許を習得した椅子やテーブルのフレームに似た金属架構、「ポルティーク(門型)」とパネルを組み合わせて、プレファブ工法住宅も考案しました。
これは、戦後の復興期、素早く組み立てられるものを求めたフランス政府に好まれ、学校や住宅建設に採用されていきます。
「土地に痕跡を残さない建築をつくりたい」
と彼は言っていますが、短時間でどこにでも組立、解体、移築、が可能なこのプレファブ住宅は、戦後復興期のフランス社会に大いに役立ったことでしょう。彼は、自身のことを構築家と称していました。
《F 8×8 BCC組立式住宅》(1942年頃)玄関ポーチ部分 |
1日で解体、2日で組立可能な《F 8×8 BCC組立式住宅》(1942年頃)を上から見る |
窓の開閉に必要な金属も美しい |
《折りたたみ机付き講義室用ベンチ》(1953年ごろ) |
隣の小部屋では映像作品「ジャン・プルーヴェ:建築家とその時代」が上映されており、ここで使用されている椅子は、1953年頃に国立ジョワンヴィル体育センターの為に作られた講義室用ベンチ。是非座って鑑賞を!