【アート通信ー114:「モーリス・ユトリロ展」】

 114回目のアート通信は、現在、新宿のSOMPO美術館で開催中の「モーリス・ユトリロ展」からです。

「モーリス・ユトリロ展」ポスター

ユトリロ (1883-1955) はフランス・パリのモンマルトルで婚外子として生まれ、フランスで制作を続けた画家です。実の父親が誰なのか母親は生涯明かしませんでした。

彼が絵を描く様になったのは、母親が画家だった事もありますが、なんと幼少期からアルコール依存症で、その治療の為です。

展覧会は、初期の「モンマニー時代」、困難な時代「白の時代」、そして晩年の「色彩の時代」、という3部で構成。では早速、代表作や注目点などをご案内していきましょう!


Ⅰ「モンマニー時代」

《モンマニーの屋根》(1906-07年頃)  パリ・ポンピドゥセンター蔵

幼少期からのアルコール依存症が悪化し、18歳にで入院、治療を受けるようになります。こちらはその治療の一環で描いた作品で、見たままを素直に描いていますね。印象派の影響も少し感じられます。

モンマニーというのは、この頃、彼が母親と住んでいたパリの北側の小さな町の名前。

彼は美術教育を受けていませんが、画家の母親を大変尊敬しており、母への敬意を込めて、彼女の名前 Suzanne Valadon (シュザンヌ・ヴァラドン)の頭文字であるVを自分のサインの最後に入れています。これは生涯変わりませんでした。


Ⅱ「白の時代」

「白の時代」の展示風景

白い壁の建物を多く描いた白の時代には、同じテーマが繰り返されたり、真っ直ぐ進んだ道が行きどまりになりそうで急に曲がる、という構図の作品を多く描きました。

同じテーマや構図が繰り返されるのは、作品を制作する際に、絵葉書や写真を元に描き起こしていた為と考えられます。

アルコール依存症の治療が上手くいかず、精神状態が安定しなかった彼にとって、現場で描くより、家で落ち着いて描く方が、そして同じ構図やモチーフを繰り返し描き続ける方が安心出来たのでしょう。

《可愛い整体拝受者、トルシー=アン=ヴァロワの教会(エヌ県)》(1912年頃)八木ファインアート・コレクション蔵

繰り返されたテーマでは、まず、信仰心が強いユトリロは教会をよく描きました。

また、白へのこだわりは、絵の具に砂や鳥のフンを混ぜたり、卵黄を塗りつけるなど、さまざまな工夫から成り立っており、その辺りも見所です。

《ラパン・アジル》(1910)  パリ・ポンピドゥセンター蔵

パリ・モンマルトルのキャバレー 〈ラパン・アジル〉 は、経営者が母親の知人という縁もあり、足繁く通い、こちらも何度も描いたモチーフで、その数はなんと300点を超えます。今回はそのうちの9点が展示されており、微妙な違いが堪能できますよ!

こんなに繰り返し描いたのは、 〈ラパン・アジル〉 が彼にとって、とても大切な所だったのでしょう。



Ⅲ「色彩の時代」

《シャラント県アングレム、サン=ピエール大聖堂》(1935) 公益財団法人 ひろしま美術館蔵

アルコール依存や精神の不安定により長らく入退院を繰り返した後、ユトリロは51歳でベルギーの銀行家の未亡人リュシー・ヴァロールと結婚します。こちらはその頃描いた作品です。陰鬱さがないなど、他の時代との違いは明らかですね。

遅い結婚でしたが、ユトリロは、ワインに水を混ぜるなど、夫の健康を密かに気遣う妻に恵まれました。

会場に用意されているユトリロの言葉を集めた小冊子

アルコール依存症で精神が不安定だった事もあり、様々な逸話などから作品を語られる事が多い作家ですが、今回の展覧会では、ユトリロ自身の言葉から作品を理解して欲しいい、と会場にユトリロの言葉が収められた小冊子も用意されています!


☆ 常設作品

ファンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》(1888) SOMPO美術館蔵

こちらはSOMPO美術館の特徴でもありますが、会場の最後に美術館が所持しているゴッホの「ひまわり」が展示されています。せっかくの機会ですので、こちらもお見逃しなく!

SOMPO美術館入り口付近

今まで本社ビル内にあったSOMPO美術館(旧東郷青児美術館)は、2020年より単体の建物となり、よりアクセスし易くなりました。

「モーリス・ユトリロ展」 

SOMPO美術館(新宿駅西口より徒歩5分)にて

12月14日まで開催中!


「モーリス・ユトリロ展」 



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