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【アート通信ー112:「La Piscine(ラ・ピシーヌ)」】

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 112回目のアート通信は、 フランス 北部の都市 リール の郊外、  Roubaix (ルーベ)市  にある美術館「 La Piscine ー Musée d’art et d’industrie André Diligent   ー( ラ・ピシーヌ ー アンドレ・ディリジャン美術産業博物館)ー 」からです。 「La Piscine」1階、プール周りの展示スペース 〈 La Piscine 〉  はフランス語でプール、という意味ですが、その名の通り、実はこの美術館の建物は公共のプール施設を改修して利用しています。 今回は、この美しい建物の歴史と、美術館として利用されるようになった経緯を中心にご紹介します。 19世紀のルーベの羊毛工場の様子を描いた絵 19世紀末、ルーベ市では繊維業がとても盛んでしたが、それによる家・工場の密集過多により風通しが悪くなり、衛生状態も悪化していました。 結核も蔓延し、当時のルーベ市はフランスで最も死亡率の高い市だったそうです。 *111回目のアート通信でご案内したカヴロワ氏はこの環境を避けて、ルーベではなく、美しい自然の残る町クロワに住居を構えたのです。 プールとして利用されていた頃の写真( 「La Piscine」カタログより) そんな状況に立ち向かったのが ルーベ市長、 Jean-Baptiste Lebas ( ジャン=バティスト・ルバ 1878-1944) 氏 。無料診療所を設け、医療検診やワクチンを導入しました。 そしてもう一つ、彼が行ったのは 〈 屋内温水プール 〉 の建設でした。当時のヨーロッパでは、“水泳は体を丈夫にする” として、ちょっとしたブームでもあったのです。 シャワールームも当時のまま残っている 建築デザインは、すでにプール建設の経験がある、 Albert Baert ( アルベール・バール 1863-1951) 氏 。 どうせ作るのなら、『 フランスで一番美しいプール を!』 『 衛生の神殿 を!』 と、 アール・デコ様式 のこの美しい建物が 5年かけて、 1932年に完成 しました。 今も残されている、自宅で入浴できない人の為のお風呂(男性用) このプール施設は労働者階級の貧しい家族から富裕層まで利用出来、 自宅にお風呂がない人の為のお 風呂 も用意...

【アート通信ー111:「カヴロワ邸」】

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 111回目のアート通信は、フランス北部の都市リール郊外 Croix (クロワ)市にある邸宅、「Villa Cavrois カヴロワ邸」(1932年落成)からです。 庭の池にその姿を映す様に設計された 「カヴロワ邸」 カヴロワ邸は、「コルビジェ巡礼ー6」の最後で触れたフランスの建築家、 ロベール・マレ=ステヴァンス ( 1886-1945)  の作品で、 紡績・織物関係の会社を経営するポール・カヴロワの家族の為に設計されました。 現在は歴史的建造物として国の管理下、有料で公開されています。 斜めから見る 「カヴロワ邸」、 出航して行く船の形を意識したと言われている ロベール・マレ=ステヴァンスは、同時代の ル・コルビュジエ (1887-1965) やフランク・ロイド・ライト ( 1867-1959)  と並び活躍し、彼らから影響も受けた建築家です。 カヴロワ氏は、 ステヴァンス氏を信頼し、デザイン、コンセプトなど全てを彼に一任したので、ステヴァンスは内装から家具のデザインまで全てに、時には実験的な手法を使いながらその才能を発揮出来ました。 建物入り口からサロンへの入り口を見る また、ステヴァンスは映画好きで、映画作品で美術装置を担当した事もあります。 サロン入り口に見える黒いドアは、映画館の扉を意識しており、扉を開けた瞬間に目に飛び込んでくる景色を印象付ける効果も狙っているとか。 サロンの様子と入り口扉の内側を見る このサロンは2階までの吹き抜けで邸宅の中心となっています。 ここを中心に、西側にダイニングやキッチンがあり、東側に事務所など、2階では、西側に子供達の部屋、東側に夫婦の部屋が並びます。3階には、舞台もある広い部屋があり、子供達の遊び場として使われていました。機械室、カーヴなどは地下にまとまっています。 キッチンの壁に設置されている時計 驚くのは、今見ても古く感じない洗礼されたデザインと、エレベーターの導入など、最新のテクノロジーの数々です。 壁時計は、各部屋に合わせてデザインされており、当時は珍しかった壁に埋め込まれた電気で動く仕組みになっています。 キッチンの床タイル 現代でも、現代こそあったら嬉しい、角がカーブして掃除しやすいタイル! キッチンの蛇口 蛇口は水、湯、浄水、と用途別に3つある! 洗面所にある体重計 洗面所に体...

【アート通信ー110:特別展「蔦屋重三郎」】

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 110回目のアート通信は、現在、 東京 国立博物館 平成館 にて開催中の 特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」 からです。 *写真は全て内覧会にて許可を得て撮影しております。 平成館内の「蔦屋重三郎」展ポスター 蔦屋重三郎(1750~1797) は、浮世絵師・喜多川 歌麿 や東洲斎 写楽 を見い出し、世に売り出した人です。彼は 吉原 生まれで吉原に熟知していたので、まずは吉原に関する出版に携わりました。当時ですから、出版は浮世絵とも大いに関係があり、結果として絵師を世に送り出す事に繋がったのです。 〈附章〉 展示風景 主催が東京国立博物館とNHKというだけあり、特に最後の 〈附章〉 では、現在放映中のNHK大河ドラマ「べらぼう」(主人公は蔦屋重三郎)のセットや、当時の様子を再現した町並みなどがあり、気分ははすっかり江戸時代! また、ここでは浮世絵の作り方の説明が映像でなされているのも嬉しいところ。 「蔦屋重三郎」展 入り口風景 では、早速見どころをご案内していきましょう! この門は、吉原の入り口にあたる 大門 で、NHK大河ドラマ「べらぼう」の美術チームの力作です。この大門をくぐり、吉原の世界へ入っていきます。 紅塵陌人 作 / 北尾重政 画『一目千本』(1774) 大阪大学附属図書館 忍頂寺文庫 蔵 こちらは蔦屋重三郎が初めて手がけた出版物、 『 一目千本』 です。流行の生け花に遊女をなぞらえて紹介する遊女評判記です。生け花に例えて、より想像力を掻き立てようという思惑でしょうか。 *会期中ページ替えがあります。 北尾重政・勝川春章 画『青楼美人合姿鏡』(1776) 東京国立博物館 蔵 こちらは、山崎金兵衛と蔦屋重三郎の共同で出版された、人気絵師2名により美しく描かれた、なんと164名の遊女とその名前が記された 『 青楼美人合姿鏡』 です。また、別ページには、その遊女たちが詠んだ句が載せられています。 私にはどの遊女も同じ顔に見えてしまうのですが、遊女の日常が垣間見られてとても美しいです。 *会期中ページ替えがあります。 〈第1章〉 展示風景 〈 第1章〉 は吉原の通りを再現した、こんな雰囲気のところで展示されています。 〈第2章〉 以降では、蔦屋重三郎の仕事を知るだけでなく、実は喜多川 歌麿 (1753?-1806)や東洲斎 写楽 (生没...

【アート通信ー109:「ミロ展」】

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 109回目のアート通信は、現在、東京都美術館にて開催中の「ミロ展」からです。 *写真は全て、東京都美術館の内覧会にて許可を得て撮影しています。 「ミロ展」入口付近 太陽や月などを象徴的な姿で描いた絵で知られる 世界の巨匠、 ジュアン・ミロ ( 1893-1983)。 この展覧会では、彼の 絵画・陶芸・彫刻に渡る100点近い作品が紹介されています。 では早速、鑑賞のポイントとなる作品や逸話を、年代順にご紹介していきましょう。 『ヤシの木のある家』( 1918) 国立ソフィア王妃芸術センター 蔵 まずはこちらの作品。よく知られるミロの作品とはだいぶ様子が違いますね。初期の作品で、休養中の モンロッチで描かれました。 ジュアン・ミロは、 幼い頃より絵を描く事が好きでした。しかし 会計の仕事に就いた後 うつ病などになり、 両親の別荘があるモンロッチで休養したのです。その休養中、仕事を辞めて 好きな絵画に打ち込む事を決意しました。 バルセロナから140キロの美しい自然が残る村、モンロッチ。ここは、その後も迷いが生じる度に訪れ、アトリエも設ける、彼にとって大事な土地となります。 『自画像』( 1919) パリ・国立ピカソ美術館 蔵 そしてこちらの 「自画像」。 なんとあのピカソがずっと手元に置いていた作品です。 ミロは27歳の時、展覧会でパリを訪れ、同郷の大先輩ピカソを訪問します。ピカソはミロの才能をいち早く見抜き、届けられたこの作品を大事にしました。 やがてパリにアトリエを構えたミロは、ピカソの家族と家族ぐるみで交流するようになりますが、実は、ピカソの実家とミロの実家は500メートルほどしか離れておらず、母親同士が友達、という縁もあったのでした(!) 『絵画=詩  ( おお!あの人やっちゃったのね ) 』 ( 1925) 東京国立近代美術館 蔵 パリ時代のミロは、 当時湧き上がっていた新しい芸術の波に圧倒されながらも、シュルレアリスムの作家と交流をもち、様々な事に挑戦し、力をつけていきます。 この作品はその頃の作品で、絵画上に言葉 『oh!un de ces /messieurs qui a fait / tout ca  ( おお!あの人やっちゃったのね )  』が書かれています 。“やっちゃった”とは、何をやってしまったのか?晩年、...