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【アート通信ー115:「太陽の塔」】

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 115回目のアート通信は、 1970年の「日本万国博覧会」 の会場「万博記念公園」にある 岡本太郎 デザイン 「太陽の塔」 からです。 正面から観た「太陽の塔」 「2025年日本国際博覧会」が10月13日に閉幕しましたが、開催期間中、密かな人気を誇っていたのが、1970年の「日本万国博覧会」の会場だった 「万博記念公園」 、そして今やそのシンボルともなっている 「太陽の塔」 です。 当時の様子、「太陽の塔」パンフレットより 今はモニュメントのようにそびえ立つ「太陽の塔」ですが、実はこちらはモニュメントではなく、1970年万博のテーマ [ 人類の進歩と調和]を表現するテーマ館の一部 として作られました。 高さ70メートルの鉄筋コンクリート造りで、内部は空洞です。ここは、生命の進化過程を示す展示空間であると共に、大屋根の展示会場への移動経路でもありました。 博覧会終了後、地下の展示空間は埋められ、大屋根も撤去されました。 「太陽の塔」は残りましたが、約 50 年近くその内部は公開されず、鑑賞出来るのは外部のみでした。しかし 耐震補強が施され、 2018 年からは内部も見学出来るようになりました。 素直でまっすぐな岡本太郎の表現は迫力があり、大きな愛さえも感じられ一見の価値あり!です。 地下の展示スペース 見学は、当時「太陽の塔」の前後に展示されていた、地下の 〈 過去:根源の世界  〉 から始まります。 原始的な雰囲気の中、世界の仮面や神像と共に根源の世界を 体感します。 行方不明の『地底の太陽』の復元 当時ここに設置されていた 『地底の太陽』は、 残念ながら行方不明で、展示されているのは資料から制作した復元品です。          『生命の樹』下部の様子  〈 根源の世界  〉 を体感した 後、塔の内部へと移動します。 塔の真ん中にそびえ立つのは高さ41メートルの 『生命の樹』 。これは、単細胞生物からクロマニョン人まで、生物の進化を辿る33種のいきものを纏って伸びていく巨大オブジェ。 見学者はそれを囲む様に設置された螺旋階段を上りながら鑑賞します。 ちなみに当時は階段ではなく。エスカレーターでした。 『生命の樹』に纏い付く、三葉虫やクラゲ 階段を上がりながら生物の進化が楽しく分かり、色々な発見があるので小さなお子さんも楽しい...

【アート通信ー114:「モーリス・ユトリロ展」】

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 114回目のアート通信は、現在、新宿の SOMPO美術館 で開催中の 「モーリス・ユトリロ展」 からです。 「モーリス・ユトリロ展」ポスター ユトリロ (1883-1955) は フランス・パリのモンマルトル で婚外子として生まれ、フランスで制作を続けた画家です。実の父親が誰なのか母親は生涯明かしませんでした。 彼が絵を描く様になったのは、母親が画家だった事もありますが、なんと幼少期からアルコール依存症で、その治療の為です。 展覧会は、初期の「モンマニー時代」、困難な時代「白の時代」、そして晩年の「色彩の時代」、という3部で構成。では早速、代表作や注目点などをご案内していきましょう! Ⅰ「モンマニー時代」 《モンマニーの屋根》(1906-07年頃)  パリ・ポンピドゥセンター蔵 幼少期からのアルコール依存症が悪化し、18歳にで入院、治療を受けるようになります。こちらはその治療の一環で描いた作品で、見たままを素直に描いていますね。印象派の影響も少し感じられます。 モンマニーというのは、この頃、彼が母親と住んでいたパリの北側の小さな町の名前。 彼は美術教育を受けていませんが、画家の母親を大変尊敬しており、母への敬意を込めて、彼女の名前 Suzanne Valadon (シュザンヌ・ヴァラドン)の頭文字であるVを自分のサインの最後に入れています。これは生涯変わりませんでした。 Ⅱ「白の時代」 「白の時代」の展示風景 白い壁の建物を多く描いた白の時代には、同じテーマが繰り返されたり、真っ直ぐ進んだ道が行きどまりになりそうで急に曲がる、という構図の作品を多く描きました。 同じテーマや構図が繰り返されるのは、作品を制作する際に、絵葉書や写真を元に描き起こしていた為と考えられます。 アルコール依存症の治療が上手くいかず、精神状態が安定しなかった彼にとって、現場で描くより、家で落ち着いて描く方が、そして同じ構図やモチーフを繰り返し描き続ける方が安心出来たのでしょう。 《可愛い整体拝受者、トルシー=アン=ヴァロワの教会(エヌ県)》(1912年頃)八木ファインアート・コレクション蔵 繰り返されたテーマでは、まず、信仰心が強いユトリロは教会をよく描きました。 また、白へのこだわりは、絵の具に砂や鳥のフンを混ぜたり、卵黄を塗りつけるなど、さまざまな工夫から成り立っており、その辺り...

【アート通信ー113:特別展「江戸⭐︎大奥」】

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 113回目のアート通信は、現在、 東京国立博物館 平成館 にて開催中の 特別展「江戸⭐︎大奥」 からです。 会場入り口のポスター 大奥とは、江戸時代 (1603-1867) 、将軍の妻、側室、子供、そして彼女達に仕える女性達が暮らした城内の場所の事で、その成り立ちは1618年ぐらいからと言われています。そしてその面積は江戸城の約半分を占めていたと言うのですから相当な広さです。 〈NHKドラマ10「大奥」のセット〉 “御鈴廊下”の一部を再現展示 そしてここを出入り出来るのは将軍のみ。大奥に暮らす女性たちは一度入ると、日常的な出入りは許されません。 また大奥での出来事は決して口外してはならない、という厳しい掟がありましたので、大奥は常に秘密のベールに包まれていました。 錦絵シリーズ、揚州周延筆 「千代田の大奥」 (明治時代) の展示場所では、壁面に絵巻の一部が大写しで再現されており、華やか! それでは、展覧会の見どころをご案内していきましょう。 *写真は全て許可を得て撮影しております。 第1章「あこがれの大奥」 ここでは、その秘密のベールに包まれ、人々の想像を掻き立てた大奥の概要を紹介しています。〈NHKドラマ10「大奥」のセット〉や見事な錦絵〈 「千代田大奥」 の展示〉など、様々な角度からのアプローチ。 万亭応賀作、歌川国貞筆筆、「奥奉公出世双六」(江戸時代 19世紀) 東京都江戸東京博物館蔵 *展示期間:7/19-8/17 こちらは大奥の様々な仕事を辿って出世していく双六です。その名も 「奥奉公出世双六」 。文字 を書いたり文書の管理をする 〈御佑筆〉、子の世話をする者〈御守〉〈御乳〉などを通り、大奥で働く女性の最高位 、〈老女〉 などから上がりに近づけます。 一般の人達は想像の中で大奥勤めをし、出世を夢見、大奥での出来事に想像を膨らませたりしたのでしょうか。 第2章「大奥の誕生と構造」 「江戸城本丸大奥総地図」(江戸時代19世紀)東京国立博物館蔵 第1章で大奥の概要が分かったところで、今度は資料・作品から大奥の事実に迫ります。 江戸城は大きく分けて「表」「中奥」「大奥」の3つに分かれていました。「表」は政治を行うところ、「中奥」は将軍のプライベート空間、そして「大奥」です。 上の写真は、その大奥を図面で示したもの。黄色のスペースが正室達が暮らした場所で、...

【アート通信ー112:「La Piscine(ラ・ピシーヌ)」】

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 112回目のアート通信は、 フランス 北部の都市 リール の郊外、  Roubaix (ルーベ)市  にある美術館「 La Piscine ー Musée d’art et d’industrie André Diligent   ー( ラ・ピシーヌ ー アンドレ・ディリジャン美術産業博物館)ー 」からです。 「La Piscine」1階、プール周りの展示スペース 〈 La Piscine 〉  はフランス語でプール、という意味ですが、その名の通り、実はこの美術館の建物は公共のプール施設を改修して利用しています。 今回は、この美しい建物の歴史と、美術館として利用されるようになった経緯を中心にご紹介します。 19世紀のルーベの羊毛工場の様子を描いた絵 19世紀末、ルーベ市では繊維業がとても盛んでしたが、それによる家・工場の密集過多により風通しが悪くなり、衛生状態も悪化していました。 結核も蔓延し、当時のルーベ市はフランスで最も死亡率の高い市だったそうです。 *111回目のアート通信でご案内したカヴロワ氏はこの環境を避けて、ルーベではなく、美しい自然の残る町クロワに住居を構えたのです。 プールとして利用されていた頃の写真( 「La Piscine」カタログより) そんな状況に立ち向かったのが ルーベ市長、 Jean-Baptiste Lebas ( ジャン=バティスト・ルバ 1878-1944) 氏 。無料診療所を設け、医療検診やワクチンを導入しました。 そしてもう一つ、彼が行ったのは 〈 屋内温水プール 〉 の建設でした。当時のヨーロッパでは、“水泳は体を丈夫にする” として、ちょっとしたブームでもあったのです。 シャワールームも当時のまま残っている 建築デザインは、すでにプール建設の経験がある、 Albert Baert ( アルベール・バール 1863-1951) 氏 。 どうせ作るのなら、『 フランスで一番美しいプール を!』 『 衛生の神殿 を!』 と、 アール・デコ様式 のこの美しい建物が 5年かけて、 1932年に完成 しました。 今も残されている、自宅で入浴できない人の為のお風呂(男性用) このプール施設は労働者階級の貧しい家族から富裕層まで利用出来、 自宅にお風呂がない人の為のお 風呂 も用意...

【アート通信ー111:「カヴロワ邸」】

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 111回目のアート通信は、フランス北部の都市リール郊外 Croix (クロワ)市にある邸宅、「Villa Cavrois カヴロワ邸」(1932年落成)からです。 庭の池にその姿を映す様に設計された 「カヴロワ邸」 カヴロワ邸は、「コルビジェ巡礼ー6」の最後で触れたフランスの建築家、 ロベール・マレ=ステヴァンス ( 1886-1945)  の作品で、 紡績・織物関係の会社を経営するポール・カヴロワの家族の為に設計されました。 現在は歴史的建造物として国の管理下、有料で公開されています。 斜めから見る 「カヴロワ邸」、 出航して行く船の形を意識したと言われている ロベール・マレ=ステヴァンスは、同時代の ル・コルビュジエ (1887-1965) やフランク・ロイド・ライト ( 1867-1959)  と並び活躍し、彼らから影響も受けた建築家です。 カヴロワ氏は、 ステヴァンス氏を信頼し、デザイン、コンセプトなど全てを彼に一任したので、ステヴァンスは内装から家具のデザインまで全てに、時には実験的な手法を使いながらその才能を発揮出来ました。 建物入り口からサロンへの入り口を見る また、ステヴァンスは映画好きで、映画作品で美術装置を担当した事もあります。 サロン入り口に見える黒いドアは、映画館の扉を意識しており、扉を開けた瞬間に目に飛び込んでくる景色を印象付ける効果も狙っているとか。 サロンの様子と入り口扉の内側を見る このサロンは2階までの吹き抜けで邸宅の中心となっています。 ここを中心に、西側にダイニングやキッチンがあり、東側に事務所など、2階では、西側に子供達の部屋、東側に夫婦の部屋が並びます。3階には、舞台もある広い部屋があり、子供達の遊び場として使われていました。機械室、カーヴなどは地下にまとまっています。 キッチンの壁に設置されている時計 驚くのは、今見ても古く感じない洗礼されたデザインと、エレベーターの導入など、最新のテクノロジーの数々です。 壁時計は、各部屋に合わせてデザインされており、当時は珍しかった壁に埋め込まれた電気で動く仕組みになっています。 キッチンの床タイル 現代でも、現代こそあったら嬉しい、角がカーブして掃除しやすいタイル! キッチンの蛇口 蛇口は水、湯、浄水、と用途別に3つある! 洗面所にある体重計 洗面所に体...