2017年あけましておめでとうございます! リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ 1月 01, 2017 あけましておめでとうございます。2017年をスペイン国境に近いポルトガルの町エルヴィスで迎えました。大きな青い空に心を解放されつつ、気合を入れています(*^▽^*)今年もどうぞよろしくお願い致します! リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ
【建築巡礼ー5:アールトによるルイ・カレ邸】 6月 11, 2016 屋根の傾斜はなだらかな土地の傾斜に沿っている フィンランドの著名な建築家でありデザイナーであるアルヴァ・アールト(Alvar Aalto:1898-1976)による建築です。 フランス人画商:ルイ・カレ(Louis Carrē:1897-1977)の晩年の家で、自然の中でアートと過ごす自宅兼ギャラリーです。 1959年に完成し(細部まで完成したのは1963年)、パリから西に40㎞、ベルサイユの先にあります。 *こちらはフランスで唯一見る事が出来るアールトの建築です。 デザインされた頑丈な門 雑木林の小道 門を入り、広大な敷地を歩いて行くと建物にたどり着きます。 玄関入口付近 木材の使用や大きく厚い窓ガラス、そして光の入れ方などから北欧の建築家の手によるものだと感じる事が出来ます。 ポーチの柱、こんなところにも木材を使用。 木材を使用したリビング外観 大きな厚い窓があるリビング リビングの暖炉周辺は自然素材の使い方がとても素敵 やわらかな光を取り込む玄関ホールの明かり窓 カレは仕事柄たくさんのアーティストや建築家と付き合いがありました。 そんな中で知り合いではなかったアールトに設計を依頼したのは、自然と共に過ごすというテーマやアートとの向き合い方に、彼と自分との共通点を見出したからだそうです。 こちらのリビングの為にデザインされたマット プライベート空間と、公的空間を分ける圧迫感のない扉 計画は3年もの年月をかけてじっくり進められ、完成後は当初の予定通り顧客、デュシャンやミロといったアーティスト、小説家、著名人などを招待してコレクションを堪能しながら交流を深めたそうです。 ギャラリストとして、まさに理想的な生活です。 庭には各居室からアクセス可 パーティーにも利用された庭 そしてカレの死後も夫人は亡くなるまで住み続け、ピカソなどの大事な美術品を手放してもここの土地・家は手放しませんでした。 とても強い思い入れがあったのでしょう。 現在はフランスのアールト財団が修復を続けながら公開・管理をしており、撮影やレセプションへの貸し出し、展覧会の開催などにも対応しています。 庭との関係(自然との関係)、部屋の取り方、家具・照 続きを読む
【アート通信ー25:ベルリン・集合住宅「ジードルング・ブリッツ」】 4月 29, 2018 25回目のアート通信では、ドイツ・ベルリンの郊外ブリッツにある世界遺産の集合住宅、「ジードルング・ブリッツ」(1925-1931)をご紹介します。「ジードルング・ブリッツ」とは、ブリッツにある集合住宅、という意味で1931年にドイツ人建築家ブルーノ・タウト(1880-1938)の指揮のもとに建てられました。 田園地帯だったところを開発した「ジードルング・ブリッツ」。この手前の池も以前からあったそう。 「ジードルング・ブリッツ」の大きな特徴は、中心となる建物が自然の地形を生かして東に向かって馬蹄形に建てられている事!馬蹄形は幸運を引き寄せる形と言われており、それを意識したとも、丸く作る事で住民が皆、朝日を浴びられるようにしたとも言われています。 テラスの壁は曇りの日でも青空を感じられるように、と青色に塗られている 37.1ヘクタールの敷地には、その馬蹄形の住宅棟を中心に何棟もの集合住宅棟が放射状に建てられています。トータルで約1960戸あります。どの住宅にも庭があり、庭では畑を作ったり、子供の遊び場を作ったり、と思い思いにそれを利用しています。 庭は2階3階の人も使用できるように平等に区切られている ではなぜ、このような住宅が建てられたのでしょうか?20世紀初めの首都ベルリンでは人口が集中し、住宅供給が追い付かなくなりました。中にはひどい住宅もあったそうです。その劣悪な環境を改善する為、政府が主導し沢山の労働者向け集合住宅が建てられました。1920年頃の事です。 なんとそのほとんどが当時の代表的な建築家によって建てられ、現在ベルリンではこちらをはじめ6つの集合住宅が世界遺産に認定されています! 各戸の窓、扉は整然と同じに配置されており、外観はシンプル。車の駐車の仕方も整然(?) ここでタウトが強く心配ったのは労働者の為の住宅、<平等>だそうです。それはちょうど道路を挟んだ向かいに建っている別の建築家が建てた集合住宅と比較しても分かります。 「ジードルング・ブリッツ」の道路を挟んだ向かいの集合住宅。デザインも色も少しずつ違う。 「ジードルング・ブリッツ」にずっと住まれている方のお宅を見せて頂きました。手を加えたり、好みのインテリアを施したり、と丁寧に住まわれていてとても 続きを読む
【建築巡礼ー9 : ル・トロネ修道院 abbaye du Thoronet】 7月 16, 2016 今回の旅では、新しい建物だけではなく、ロマネスク建築の プロヴァンス三姉妹* として有名なシトー会の ル・トロネ修道院 abbaye du Thoronet も訪れました。 * プロヴァンス三姉妹 ・・・同じプロヴァンスにあるマザン修道院を母として、ル・トロネ修道院を長女、セナンク修道院を次女、シルヴァカーヌ修道院を三女として呼ぶ俗称。 教会部分 ル・トロネ修道院 abbaye du Thoronetの建設は1160年に始まり、1230年まで続きました。 初めは20人の修道士が生活してましたが、15世紀頃より国の混乱もあり荒廃し始め、1660年には当時の修道院長が修復の必要性を訴えます。 それでも1791年には国に売却されてしまいます。 そして1840年にはフランスの歴史的建造物として認定され現在に至っています。 シトー会とは12世紀にブルゴーニュで創設された修道会で、厳しい戒律、質素な生活を信条として「祈り、働け」の標語の元、修道士達は人里離れた所で修行に励みます。 ここでは澄んだ空気と奇跡の様な静けさが辺り一帯を支配しており、 時代の生き証人の様にそこに佇むこの修道院の姿に圧倒され ました。 建物はシトー会の規則を忠実に守り石のみで作られ、装飾はほとんどなく、石の質感とそれが描くラインのみで表現されています。 傾斜地に建ている為、高さが違う回廊。石はきっちり組まれている 珍しい2階部分がある回廊 歴史にも大きく関わった時代の宗教施設の事を語るのは難しいです。 全く違う生活をする現代の私達ではなかなか想像が追いつきません。 とは言え、やはり非凡な方はきちんとそこからエッセンスを汲んでいかれます。 多くの建築家がこのシンプルで強いメッセージ性のある建物にインスパイヤーされてきました。 ル・コルビジェがここを見学した後、ラ・トゥーレットを建てたのは有名ですが、その他もフェルナンプイヨン Fernand Pouillon(1912-1986)、ジョン・ポーソン John Pawson(1949-)、ロベール・マレ=ステヴァンス Rober Mallet-Stevens(1886-1945)、そして安藤忠雄(1941 -)もこの建物から受けたメッセージをその後の仕事に繋げています。 上部に開いた、明り取 続きを読む