アーティストに払うギャラの意味

先日アートに関わる人とのミーティングあり、ギャラの話が出たので今回は改めてその意味を考えてみたいと思います。
日本人は‘お金’の話が苦手です。
そしてお金抜きで働く事は"善行"という観念がどこかにあります。
でもそれがどこかで誰かにしわ寄せをしているのであれば、それは"悪行"でしかありません。

イベントを開催する時やお店を開店する時、絵が上手な人、踊りや歌の上手な人に、
「何か描いて」「ちょっと踊って」「歌って」「ワークショップやって」
はよく聞くフレーズですが、そこではどのぐらいきちんと報酬の話がなされているのでしょうか?
私はプロの作家、あるいはプロになろうとしている作家に報酬を出してプレッシャーをかけていく事はそのまま作家を育てる事に繋がると考えています。
そしてビックになったアーティストには、育ててもらった環境にたまには無償で奉仕する余裕があってもいいと思いますが、私達は逆の感覚を持ちがちです。
"ビックな方だから報酬を出さなければ!無名の人だから無報酬でいいでししょ、宣伝にもなったでしょうから。"と。

<芸>のレベルにもよるのですが、‘ただ(ノーギャラ)’には落とし穴があります。
なぜなら、”ただ”には”ただ”の価値しかなく、そこからは何も生まれません。
何かを生み出す作業というのは、とても苦しい作業で、アーティストは常にそれと戦っています。
一方、アーティストも人間です。ともすると楽な方に傾きます。
だから適度な強制力、圧力が必要なんです。
例えば「○○日に個展を開催するからそれまでに新作を10点作らなければいけない。」
とか「お題をもらったがそれはいつものパターンでは作れそうもない、どうしよう・・・」など。
その圧力のもと、力のある作家は想像以上の力を発揮していきます。
何をやるにも予算があり、口で言うほど簡単ではありません。
でも、"報酬"をただの"支払い"と考えず、未来のアーティストへの"投資"と考えるとちょっと夢があっていいのではないでしょうか。
もちろん投資するのですから、いろいろ意見を言ったり、注文を付けたりしていいと思います。
そうして、その後の活動も見守ってもらえたら、きっと良いアーティストが育っていくと思います。

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