【アート通信ー89:「ワールドクラスルーム」】

 89回目のアート通信は、現在、東京・六本木の森美術館で開催中の展覧会「ワールドクラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」からです。

展覧会会場入り口付

国語・算数・理科・社会、という単語が出てくるとお勉強のようですが、現代美術の作品をこれらの視点でジャンル分けしてみた、というだけでの話です。

今回は印象に残った作品、あるいは分かりやすいと思った作品を何点か選んでご案内します。

[国語]

米田知子「見えるものと見えないもののあいだ」シリーズ 展示風景

米田知子氏の写真作品「見えるものと見えないもののあいだ」シリーズでは、歴史上のある瞬間を彼女の視点で写真上に再構築してみる、といった試みがなされています。

『マーラーの眼鏡ー交響曲(未完成)第10
番の楽譜を見る』(1999)

その中で、『マーラーの眼鏡ー交響曲(未完成)第10番の楽譜を見る』では、未完成となった交響曲第10番の楽譜を、今、マーラーの眼鏡を通してみてみたら、という試みです。撮影に使用している眼鏡、楽譜は彼が使用していた実物です。


イー・イラン「ダンシング・クイーン」(2019) 部分

こちらはマレーシア在住の、イー・イラン氏の作品です。彼女は、ボルネオ島の様々なコミュニティの織手と協働で作品を発表しており、こちらの竹の繊維の織物には女性歌手たちの有名なヒット曲の歌詞が織り込まれています。

イー・イラン「ダンシング・クイーン」(2019)

織手が女性であることを考えると、それは女性たちへの応援歌にも見えてきます。

イー・イラン「TIKARA/MEJA(マット/テーブル)」(2022) 展示風景

また、彼女は自身の作品を販売して地域のコミュニティーセンターを設立する、というプロジェクトにも取り組んでいます。


[社会]

森村泰昌「肖像(双子)」(1989)

森村泰昌氏の写真作品です。画面に映っている人物は全て森村氏自身で、有名なマネの「オランピア」(1863)の構図をなぞっています。

マネの作品では、当時、描かれる裸婦と言えば女神であったのに、娼婦を描き物議を醸し出しました。

森村泰昌「モデルヌ・オランピア2018」(20117-2018)

森村氏の作品では、それをさらに進化させ、性別、国籍の問題にまで踏み込んでいるのが読み解けますでしょうか。


「グラフィック・エクスチェンジ」(2015)

こちらは、ジャカルタ・ウェイステッド・アーティスという4名のアーティストグループによる「グラフィック・エクスチェンジ」という作品です。 

この作品は、ジャカルタのトゥベト地区で、希望通りの新しい看板を制作する代わりに、古い看板を譲り受けるプロジェクトで、展示されているのは、実際に譲り受けた看板です。

以下グループの言葉。
看板は商店の顔。大都市ジャカルタは目抜き通りから路地裏まで看板で溢れている。中でも、素人が描いた案内板や低予算の広告板は、街の装飾であり、アイデンティティの1つ。 一方、社会経済の変化の波は、破産や撤去により街の風景を変えていく。デジタル化で容易に情報発信できる今、看板が消える前に収集保存しておきたい。

なるほど、です。


[哲学]

「授業」(2005)

タイ・チェンマイ在住のアラヤー・ラートチャムルンスック氏による「授業」という名のビデオ作品。教室のようですが、ここは病院の遺体安置所で、6人の生徒は引き取り手のない遺体。

彼女は遺体に向かって〈死〉についての講義をしています。彼女の熱心な講義の様子は生きている人にするのと全く同じで、観ている私たちは生・死についてまた別の視点で考えさせられます。


[理科]

「Root of Steps」(2023)より 〈母〉

宮永愛子氏による「Root of Steps」というナフタリンによる作品で、森美術館がある六本木で生活している人々の靴を元に制作されています。

美しい靴の形は防虫剤のナフタリンで出来ているので、時間の経過と共に徐々にその姿は消えていき、小さな結晶に昇華されていきます。存在に形が必要なのか?考えさせられる作品です。


以上、展示は約150点から、ごく一部をご紹介しました。
詳しくはHPでご確認下さい。
2023年9月24日まで開催中!






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