【アート通信ー34:「川崎市岡本太郎美術館」】
第34回目のアート通信は、神奈川県川崎市の緑豊かな生田緑地に建つ「川崎市岡本太郎美術館」です。 等身大の岡本太郎とその作品たち 岡本太郎(1911-1996)は、1970年開催大阪万博のシンボル「太陽の塔」の制作者として有名ですが、漫画家の父、一平と小説家の母、かの子の長男として、ここ川崎で生まれました。 晩年、彼が川崎市に作品を寄贈した縁により、長い準備期間を経て1999年に開館しました。氏の作品のほとんどを所蔵しています。 立地が緑地内という事もあり、‘自然と融合した美術館’を目指して地上部にはシンボルタワーの「母の塔」とカフェのみ。展示スペースなどはすべて地下にあります。 美術館のシンボルタワー「母の塔」 7本の根を持った大木のようでもあり、大らかな母の乳房のようでもある 美術館入り口 ところで、岡本太郎とは、どのような人物なのでしょうか。簡単に追ってみましょう。 現在の東京芸術大学に在学中の1930年、父親の仕事に伴いパリに渡りました。 そこでは制作を続けるだけでなくパリ大学にて通い、民俗学・哲学など多岐にわたるジャンルを学びました。また、クルト・セリグマン(1900 -1962)、カンディスキー1866-1944)、モンドリアン(1872-1944)、マックス・エルンスト(1891-1976)、ジャコメッティ(1901-1966)、ジャン・アルプ(1886-1966)、アレクサンダー・カルダー(1898-1976)、マン・レイ(1890-1976)、ブラッサイ(1899-1984)やアンドレ・ブルトン(1896-1966)など多くの一流芸術家と交流し、影響も受けました。 1940年に戦争の影響で日本への帰国を余儀なくされ、帰国後は応召し中国戦線に出征し、その後、捕虜生活も経験しています。 戦後は縄文土器や沖縄で受け継がれているデザインなどに強く惹かれていき、「芸術は爆発だ!」の言葉でテレビにも出演するようにもなりました。 鮮やかな色の、のびのびした作風に自由気ままの人と思われがちですが、その発言はしっかりした研究と理論に基づいているんですね。 彼の制作活動は、絵画に留まらず彫刻・陶壁・デザイン・寺の梵鐘など多岐に渡っていきます。 「Chance meeting