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12月, 2015の投稿を表示しています

今年最後に訪れた所

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今年最後に訪れた所は、スカイツリーが見えるここでした。 リバーサイドカフェ「シエロイリオ」 隅田川の脇の築40年のビル Mirror 内のおしゃれなカフェです。 スカイツリーを眺めながら今年一年の反省をしたら反省だらけ! 気を取り直して周辺を散歩すると、 Nui おかず横丁  ニューヨーク風のカフェに干してる布団がチャーミングな宿泊施設「 Nui 」や、オリジナルノートを作れる「 カキモリ 」、古い商店街「おかず横丁」などがあり楽しい散歩から来年への元気をもらいました^^。 今年もお読み下さりありがとうございました。 来年もどうぞよろしくお願いいたします!

Bruno CATALANOとブルゴーニュの思い出

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先日、ブルゴーニュから持ち帰ったワインと友人持参のコルシカワイン、カルフォルニアワインなどでプチパーティを楽しみました。 ブルゴーニュと言えば、滞在したボーヌで素敵な彫刻を見つけたのでご紹介します。 Bruno CATALANO さんの彫刻です。 体の一部を欠けさせた状態で作っているので、観る角度によって景色が体の中に入り込んだり抜けたりして見えます。 旅行に行くと、その場の空気や情景がそのまま自分の中にすっぽり入った感じがしませんか? そんな状態をうまく表現している作品だと思いました。 この透明人間の様な男性はこの先どこに向かうのでしょうか、そしてどこを旅するのでしょう? ‘もしかしたらまたどこかで会えるのでは?’とそんな期待すらさせてくれる作品でした。

シャネル・ネクサス・ホール「K2」

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シャネル・ネクサス・ホール にて石川直樹「K2」を拝見しました。 石川直樹「K2」フライヤーより ‘K2'とは、ヒマラヤ山脈にある世界第2位の非常に登頂が難しい山だそうです。 映像から感じ取れるパラパラ落ちていく氷の粒、一瞬にして白く煙る空気にはシンプル・白といったシャネルのテーマを連想させるものがあり、シャネルの 登頂計画への 出資に納得出来ます。 石川直樹「K2」フライヤーより 町の風景、キャンプの様子など、どの写真にも‘K2’が映っておりこの登頂への執念に圧倒されました。 ドキュメンタリー的な映像や Fresco Graphという特殊なプリントもあり、見応えあり。

見えない都市を見せる

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東京現代美術館で開催されている 「 見えない都市を見せる"TOKYO" 」 に行って来ました。   自分が聞いていた音楽、見ていた映像が‘こういう時代がありました’と紹介されていて、ちょっとショックを受けました^^。 YMO時代に坂本龍一が着ていた衣装 この企画展は各界で活躍するクリエーターがキュレーターとなり、特に1980年代の「東京」を表現していくものです。 視点が多角的になりおもしろい反面、若干分かりにくくなった感は否めません。 *個人的には社会との関わり方がユニークな スーパーフレックス (デンマーク)にとても興味を持ちました。   観覧後、80年代は分かるけどその後の時代はどんなだったっけ?と自分なりに検証してみました。 所謂バブルが終わったその後です。   記憶をたどっていくと・・・‘エステ’が特別なものでは無くなり、‘整形’もアンチエイジングの流れと共に日常に入り込み、‘プチ整形’という言葉も生まれました。 かなりデコラティブなネールも流行りました。デコラティブと言えば携帯をデコル、ノートをデコルというのもありましたね。まつ毛エクステも流行りました。‘隣りに居そうな子をアイドルにする’という動きもおこり、‘おたく’と言われる人が市民権を得ていったのもこの頃だと思います。 一方、オウムに関係する一連の事件やテロ9・11、阪神大震災や東日本大震災といった自然災害にも多く見舞われました。 パソコンの発達、携帯電話の普及、そして日常がSNSに覆われながら、不安感は社会事件を引き起こし、 経済の低迷と共に人の気持ちが ‘内へ内へ’‘個へ'という流れていった様に思います。 紛争が多発して決していい時代ではない現在、 世の中はどこへ向かっていくのでしょう? 悲観的な見方が大半だとは思いますかが私は 観覧後、新 しい世代が 思いもつかない方法で希望の持てる面白い世界を生み出していくのでは、という 希望を持ちました。 蜷川実花のスペースでは自撮りが出来る撮影ブースが人気。 セルフプロデュ―スに夢中な現代を怪しい世界で表現しています。      

アーティストに払うギャラの意味

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先日アートに関わる人とのミーティングあり、ギャラの話が出たので今回は改めてその意味を考えてみたいと思います。 日本人は‘お金’の話が苦手です。 そしてお金抜きで働く事は"善行"という観念がどこかにあります。 でもそれがどこかで誰かにしわ寄せをしているのであれば、それは"悪行"でしかありません。 イベントを開催する時やお店を開店する時、絵が上手な人、踊りや歌の上手な人に、 「何か描いて」「ちょっと踊って」「歌って」「ワークショップやって」 はよく聞くフレーズですが、 そこではどのぐらいきちんと報酬の話がなされているのでしょうか? 私はプロの作家、あるいはプロになろうとしている作家に報酬を出してプレッシャーをかけていく事はそのまま作家を育てる事に繋がると考えています。 そしてビックになったアーティストには、育ててもらった環境にたまには無償で奉仕する余裕があってもいいと思いますが、私達は逆の感覚を持ちがちです。 "ビックな方だから報酬を出さなければ!無名の人だから無報酬でいいでししょ、宣伝にもなったでしょうから。"と。 <芸>のレベルにもよるのですが、‘ただ(ノーギャラ)’には落とし穴があります。 なぜなら、”ただ”には”ただ”の価値しかなく、そこからは何も生まれません。 何かを生み出す作業というのは、とても苦しい作業で、アーティストは常にそれと戦っています。 一方、アーティストも人間です。ともすると楽な方に傾きます。 だから適度な強制力、圧力が必要なんです。 例えば「○○日に個展を開催するからそれまでに新作を10点作らなければいけない。」 とか「お題をもらったがそれはいつものパターンでは作れそうもない、どうしよう・・・」など。 その圧力のもと、力のある作家は想像以上の力を発揮していきます。 何をやるにも予算があり、口で言うほど簡単ではありません。 でも、"報酬"をただの"支払い"と考えず、未来のアーティストへの"投資"と考えるとちょっと夢があっていいのではないでしょうか。 もちろん投資するのですから、いろいろ意見を言ったり、注文を付けたりしていいと思います。 そうして、その後の活動も見守っ