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【アート通信ー91:「棟方志功展」】

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91回目のアート通信は、現在、 東京国立近代美術館にて12月3日(日)まで 開催中の「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」 からです。 この展覧会は、「富山県美術館」「青森県立美術館」と巡回し、東京が最終地です。 ここでは、ポイントとなる作品と共にご案内します。 展覧会入り口 棟方志功(むなかたしこう)は、1903年に青森県青森市に生まれました。 18歳の時に、雑誌でゴッホの 「向日葵」を見て画家になる事を決意。時間さえあれば写生をし、本を読み、地元で芸術グループを結成するなど活発に活動し、 21歳で上京します。 『星座の花嫁』より「聖堂に並(なら)ぶ三貴女」(1928) 南砺市立福光美術館 上京後は、同郷のネットワークや文学仲間からもらった 挿絵や装幀の仕事をしながら 油画を描き続けます。 しかし 帝展は毎回落選。そこで油画を諦め、 日本独特のもの、 木版画で挑む事を決意 します 。 世界のムナカタへのスタートです。 しかし当初は、日本独自のものと言いながら西洋のモチーフも制作していました。 上の写真は、 版画公募展で初入選となった4点のうちの1点です。 会場にはこんな可愛らしいムナカタの作品がこの他9点あり、必見です! 「大和し美わし」(1936)より『剣の柵』『矢燕の柵』 日本民藝館 そしてこちらは、佐藤一英氏の、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の一代記を詠った 長編詩を版画化した作品 「大和し美わし」 です。文字と絵が渾然一体となって進んでいくスピード感溢れる作品で、 彼が作品に文字を用いた初めての作品 でもあります 。 そして 実は、棟方が世に出て行くきっかけとなった作品 でもあるんです 。 棟方は、この作品を第11回国画会展に搬入しましたが、サイズ超過で展示拒否に遭ってしまいす。そこを偶然通りかかった審査員の濱田庄司氏と柳宗悦氏が取りなし展示可能に。更に、この作品を気に入った柳氏はなんと、開館予定の日本民藝館の所蔵作品としてこの作品を買い上げたのです!これをきっかけに棟方は民藝運動のネットワークにも迎えられ、作品も大きく前進していきます。 「慈潤」(1945) 日本民藝館 空襲が激しくなり、棟方一家は、民藝運動の河井寛次郎を通して知り合った光徳寺の住職の招きで、 富山県の福光に疎開します 。疎開先では、版画に用いる板の不足から、筆で書や