【アート通信ー63:「山形市郷土館(旧済生館本館)」】
63回目のアート通信は、山形県の山形駅近くの「霞城公園」内にある、「山形市郷土館(旧済生館本館)」のご案内です。 「山形市郷土館(旧済生館本館)」 外観・ 正面 独特なデザインの不思議な建物です。 実はこの建物、ここではなく600メートル離れた七日町に、 公立病院 「山形県公立病院済生館」として 明治11年(1878年)に 建てらた建物なんです。なんと 医学校が併設されていた時期もあるんですよ。現在病院は「山形市立病院済生館」となり、新たな建物で診療が続けられています。 そして建物は、その貴重性から国の重要文化財に指定され、 1969 年 にこちらに移築復原されました。ちなみに「済生館」は、時の太政大臣、三条実美に名付けられた名前です。 「旧済生館本館」塔部分のアップ それにしても目を引くデザインです。天守閣のようでありながら洋風の塔。なぜこのような不思議な建物が、しかも公立の病院で建てられたでしょう?それには明治時代の近代化と、偉大な政治家が大きく関係しています。 当時の、今で言うところの山形県知事、三島通庸(みちつね)は、近代的な建物建設に熱心でした。 彼はこちらの建物以外にも、 「旧東村山郡役所」「旧西村山郡役所」 などでも、新しい時代の象徴となる擬洋風建築を推し進めました。 「旧済生館本館」玄関ポーチ付近 【アート通信ー50:擬洋風建築】 でも取り上げましたが、 日本古来 の技法を駆使し、 地元の大工達が西洋建築にチャレンジしたのが 「擬洋風建築」 です。 日本独自の様式で、 西洋技術の習得と共に消失していったので、明治時代だけに見られる様式です。 例えば、板張りの外壁にはペンキで彩色が施され、西洋風の柱や窓に対して雲形の装飾など和の要素が混ざっています。 擬洋風建築は純粋にデザインだけで見ると、可笑しなところもありますが、試行錯誤しながら取り組んだ手の跡から当時関わった人たちの熱量を感じ、私は愛せずにいられません。 中庭から診察室と塔を見上げる こちらの、 平屋と塔の珍しい組み合わせも見所の1つ。修道院を意識したのでしょうか、回廊が中庭を丸く囲み、そこから診察室に入れます。中庭が枯山水庭園なのも面白い! 2階からの階段から中庭を見る 色ガラスを組み合わせたガラス装飾も、まだステンドグラスが普及していなかった時代の苦肉の策ですが、かえって新鮮に感じます。